2016/08

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笛吹き峠で時刻を見たノーブル佐々木です。
いや、4ヶ月ぶりに更新したら少し力が入りすぎて、久々に夜更かしした。
たぶんアクセス数も落ちてるだろうなぁ〜と調べてみると、ん?わずかだが妙に上がってる日がある。
リンク元はどこだ?・・・ん〜と、ヤフーサーチ・・・か。
ふ〜ん「ノーブル佐々木氏の救援物資日記」かぁ・・・。

ぬぁ、ぬぁ、ぬぁにぃ〜!?

いつのまにかオラホは、自分で更新したブログを忘れてしまうほど極度の認知症になっていたのか?
早い!早すぎるぞ!脳!
と、思ったらアミューズ高橋氏がオラホのメールをブログに公開しやがっておりました。
おのれめ、ネタに使いおった。
このネタ切れ王子め。
みてろ、あんな事とかこんな事とか、いつかネタにしちゃうからな。


■出発

朝5時というのは、春分を間近に控えているとは言え、まだ夜と見分けはつかない。
それでも顔を洗ったり朝食を摂ったころには、辺りがほのかに明るくなってきた。
天気予報どおり小雨が振っている。
だから余計に暗く感じたのか、と空を見上げる。

昨夜のうちに積荷の準備は万端だった。
トラックにポリタンクで給油し、山崎さん(仮に“Y”)と高野さん(仮に“T”)が乗り込み、ワゴン車にはオラホが乗り込んだ。
時間は5時半あたりか。
そして2台の「支援物資輸送し隊BaiS」は小雨の降る朝靄の中、静かに出発した。


■住田町・再会

「支援物資輸送し隊BaiS」の“BaiS”とは、岩手県美容組合青年部のこと。
正直、オラホ以外今回の輸送隊をこんな風に呼ぶ者はいない。
基本的に“形から入る派”なので勝手に名付け、勝手に呼んでいる。

さて、実は県南の沿岸までの地域はオラホにとって、まったく未知の領域だった。
そう言うわけで地の利のある高野さん(仮に“T”)の運転するトラックが先陣だ。
目的地は陸前高田・広田半島だが、途中住田町世田米の親戚に避難している大船渡の同業者Sさんを訪ねることになっていた。

住田町は北上山系の山間にあるこじんまりとした町で、元は宿場町だったらしい。
奥州市江刺からは、国道397号線から盛り街道と呼ばれる107号線に乗り換えして約50kmの道のりだ。
長く山沿いののぼり坂を越え下り坂に入り、山地の向こう側に出たかと思った辺り、国道から脇道に入ると唐突に商店街が出現した。世田米だ。
Sさんは通りの中ほどにある銀行前で待っていた。
2年振りの再会だ。

彼の店舗兼住宅だった店は鉄筋3階建てで、全壊は免れたらしいが屋根まですっぽり波に沈み、家財は瓦礫におき変わってしまったらしい。
レジの中にある金だけ持って命からがら一家で避難したという。
彼の境遇を思うと思うと心が折れる。
誰も命を失うことなく避難できたことだけが唯一の救いだ。

見飽きるほどテレビで見たので、その様子を想像することは容易だが、実際に被害に会った人を前にして掛けられる言葉の選択肢はあまりに少ない。
「大変だったね」「お気の毒に」「気持ちを強く持って」「なんとかなるよ。」「気を落とさずに」
どの言葉を選んでもありきたりで、自分の気持ちを表現するのには物足りない気がしてしまう。

まるでテンプレートだけで作った年賀状のようだ。
他の二人もそれぞに思うことがあるのか口数は少ない。
彼はお終いにこれからの住まいのこと、商売を続けていく決意を話した。

「だって、それしかできないもの。」

そうだ、そうだよな。
オラホたちもそうだ。
そうやって頑張るしかない。
しかし、なんだ、オラホらは「支援物資届け隊BaiS」だったんじゃないのか?
今彼にしてやれることがあるだろう。

「いやぁ、別に何も要らないなぁ〜。」

実は昨夜電話で彼から同じことを言われていた。
遠慮してるのか?と思い、会えば何かあるだろう、と期待して誘ってみたが返事は変わらなかった。
結局手近にあった外用薬を一個、無理やり彼の手に握らせた。
そうして30分ほど立ち話をし、オラホら三人は別れを惜しみながらも先を急ぐことになった。
陸前高田まであと16kmだった。


■受け取ってもらえなかった荷物

Sさんに現地の案内を頼めれば多少心強かったのだが、「今日、息子の登校日でさ〜。」というので断念した。
昨日はそのためにガソリンスタンドで給油の長い列に加わったと言う。
これまでも、挨拶代わりの親バカぶりは散々聞かされていていたが、やはり彼はこんな時でも親バカだった。
そんな何も変わっていない彼にオラホは癒された気がした。
あべこべな話だ。

しかし彼の癒しも、時間とともにまた荷物のことがだんだんと気持ちを占めるようになってきた。
やはり必要とはされないのだろうか。
大きな支援センターで受け取ってもらえないというのなら、飛び込みで小さな避難所を見つけて持ち込むしかない。
そんなことを昨夜三人で話し合っていたが、やはりこの方法しかないのか。

そう、陸前高田に着くまで皆そう思っていた。


■陸前高田

時間は朝の8時を過ぎていたと思う。
高田街道の谷間を縫う長い下り坂を走っていた。
案内表示ではどうやら陸前高田市に入ったようだ。

道路の右側には川が流れていた。後にこれが気仙川ということを知った。
そのうちカーテンが左右に分かれるように谷間が広がり平らな土地が徐々に広がってきた。
どうやらこの辺は緩やかな扇状地になってるようだ。

川もそれにつれて広がりはじめ流れも緩やかになり、川原が原っぱに変わってしばらく経った時、異変に気づいた。
最初は上流から流れてきた木っ端が所々積み重なっているのだと思ったが、道を行くほどにどんどん数が多くなってくる。
よく見ると木っ端と思った重なりが、実は建材の残骸だと気づいた。

まだ海は視界に入ってこないこの地まで津波が押し寄せたと言うのか?
まさか・・・。にわかには信じられない。
あたりは畑も見え、家屋もぽつぽつと見えてきた。
しかし、畑の中にまるでそこにボソッと置かれたような車が、ここに到達した津波が決して浜辺に打ち寄せる波の類ではないことを物語ってた。

先を見ると所々に瓦礫の塊らしきものが点在している。
ある地点から向こうは、子供が遊び散らかしたような雑然とした様相だ。
色彩は枯れた草の色が、視線を遠くにするにしたがって灰色と変化し、そのまま平野へと続いている。

海辺まではあとどれくらい?3kmくらいあるのではないか。
ここからはまだ両側の山でさえぎられ、市の全景は見えない。
だが、見える部分すべてが累々とした瓦礫ということだけは分かった。


■老人との出会い

視線を手前に戻そう。
今いるこの辺りは家屋が健在である。
畑も先を見れば瓦礫のようなものは見えるが、まだこの辺は冠水なかったようだ。
ただ河川に沿って津波が押し寄せたらしく、両岸は木材系の残骸が所々あるだ。

とそのとき、ある家の前で数人の男性が家の門の辺りでたむろしているのが目に留まった。
前を走っていたトラックが減速しそのまま脇に寄って止まった。
こちらもその後ろに車を止める。

ほどなく山崎さん(仮に“Y”)が降りてきて、その一団に向かって歩いて行く。
まるで引き寄せられようにオラホも車を降りてそちらに向かった。

「おはようございます。実は僕ら盛岡から支援物資を運んできたのですが・・・。」

こういうときの彼の行動は早く躊躇がない。
彼らに積荷を受け入れてくれそうな避難所を聞き出すつもりなのだ。

「こんな所にまで津波が来たんですね。」

「あ〜、んだ、ほれ、そこのマンホールまできたのっす。」

答えた70歳くらいの男性は数メートル先の道路の真ん中にあるマンホールを指差して言った。
他の数人も皆男性で。±10歳といったところか。

「僕ら今朝盛岡を出てきたんですが、この惨状を見て・・・。」

声が喉に詰まって最後はもう聞き取れなかった。
それを見て鼻の奥に力が入り、喉の奥から込み上げてくる物を感じた。
いつのまにか車から降りてきた高野さん(仮に“T”)もそんな表情をしている。
老人は、そんなオラホらの様子を特に気に掛けるでもなく、まるで世間話をするように話した。

「なぁに、俺もこの格好のまま逃げて来て、今ここさお世話になってるのす。」

この人のためにできる事がある、と少しくらいうれしい気持ちになったとしてバチは当たるまい。
誰しも一度くらい、サンタクロースになってみたいものだ。
そこにある積荷からかれが必要とするものを持ってくるだけでいいんだ。

「いや〜、それは受け取るわけにはいかないよ。」

ほがらかに彼は言った。
またしても受け取り拒否か。
なぜ受け取ってもらえない?

「支援物資は被災者みんなのもの。おらだけが受け取るわけにはいかないよ。」

ああ、そうか、そういうことだったのか・・・。
心のもやもやが消え、何か塊がさらさらと溶けていくような気がした。
そして堰を切ったように涙があふれ出した。
どんなに、どんなに力を込めようと、あふれる涙を抑えることができなかった。
どんな状況でも他人を思いやる気持ちを失ってはいけない。
確かにそうだろう。頭では分かっている。
しかし、同じ境遇になったとき、同じ言葉が自分の口から出るだろうか?

人目をはばからず三人は号泣していた。





JUGEMテーマ:地域/ローカル

震災犠牲者の冥福を祈ります。
そして、今よりも、ほんの少しでも多くの幸せが被災者に訪れることをお祈りします。
ノーブル佐々木。
 
■地震のノーブルでは

平成23年3月11日(金)2時46分、盛岡では震度6強の地震があった。
生まれて初めて経験した最極の地震だった。
築51年のこの店が良く耐えたと思う。
鉄骨で補強してたせいかもしれないが、界隈で建物が損傷した話は未だ聞いていない。
不思議なことに店に陳列している商品も、たった一個リンスが床に落ちただけで無事だった。
 
たまたま来店していたお客さんは、カラー後のシャンプーが終わったところで、リンスこそできなかったが、うちのカラーリングは酸性なので、髪もサラ艶、仕上がりには何も問題がない。(少し宣伝が入っているが許しなさい)
ただ停電してしまったので、ドライヤーが使えない。しかし、嫁は丹念に手を入れて人肌で乾かしてしまった。
みんなワタワタして、道路に飛び出してるのに、地味にスゲー嫁・・・。



■陸前高田に支援物資を届けよう

唐突だが、先週の木曜日(17日)、丁度地震のあった日から一週間。江刺の同業者の高野さん(仮に“T”としよう)から電話があった。

「ノーブルさん、救援物資を被災地に届けよう、って話があるんですけど〜。」
 
こんなヤツがこの業界にいたのか・・・。
たいした漢じゃないか。
んで、なんだ?オラホを誘ってるわけだな。
 
「みんなに呼びかけたいんですけど、メーリスでノーブルさん流してくださいよ〜。」

ぬぁに!それではまるでオラホが発起人みたいになってしまうじゃないか。
相手を見て物を言いやがれ!とは、言わなかったが、重い、荷が重いぞ!
しかし、こいつなら適当にみんなを煽ってくれるだろう〜的な作文を作るだろう、という過分な評価に気持ちよくなってしまったオラホは、結局引き受けることになってしまった。
 いいのか?それで。

んで具体的にメールに盛り込む内容としてはどうする?
まず、物資の提供のお願いね、はいはい。
決行は何時にする?21日(月)?
うん店がお休みの日か、良いんじゃない。
金土日と三日間あれば、物資も何とか集まるだろうしね。
そうだ、櫻山商店街と盛岡の組合支部にも声かければ、なんとかなりそうじゃん。

みたいな会話でメール内容は決定。
よし速攻でメール打つぜ。まかしときな!
けど、しっかりフォローメール頼むぜ、気がついたら後ろに誰もいなかった、なんて真っ平だからな。

しかし、陸前高田から帰ってくるまで、とうとう高野さん(仮に“T”)からフォローがくることはなかった。



■支援物資

支援物資を送るには支援物資を集めなければならない。
この場合、企業だったら資金もそれなりにあるだろうが、気持ちとしてはオラホらも被災者だ。
今後の営業のことを考えると不安で仕方がない。
月々のローンの返済もあるし、実弾は僅かだ。(あ〜世知辛い)

それでも、櫻山商店街や盛岡の美容組合理事で運用しているメーリスに呼びかけてみたら、10人ほどから提供を受けた。
それでもオラホのワゴンがいっぱいになるほどだった。

半分は古着、その他には靴、紙おむつ、食品、マスク、歯ブラシなど等。
現金を出した方もいたが、正直取り扱いには困った。
悩んだ挙句、スーパーで食品を買うことでよしとすることに決めた。

その間、盛岡の同業者山崎さん(仮に“Y”としよう)が加わることになり、実働部隊は3人となった。
おっと、この三人にはオラホも入る。
呼びかけといて、え?オラホは呼びかけただけさ〜、などど言えるはずがないじゃないか。



■目的地

物資が続々集まりだした辺りから、目的地の選定に入ったが情報が足りない。
あまりに広範囲で、どこに行ったらよいか分からん。
それでも取り敢えず“大槌”にしようと、と言うことになった。

理由は、あまり報道に出てこないから。
変な話かもしれないが、報道されているところは、すでに人が行きやすい状況だから物資も届いているだろう、と言う判断からだ。
結局、陸前高田・広田半島に変更されたが、知り合いが彼の地にいる親戚に支援物資を届けてきた、と言う情報が随分役に立った。

実際、現地に行こう、という一般人が得られる確実な被災地情報は、官を除けばテレビ・ラジオくらいなものだ。
ネットは確実性から言えば、さほど頼りになるとは思えなかった。
現地の人は、ネットに書き込むことができないのだから、間接情報にしかならないし、このころは一般の人が支援物資を届けたと言う話は、あまり書き込まれてはいなかった。

気持ちだけで実行することの難しさを痛感した。
物資は集まるし、行き先は決まらない。
最後は、振り上げたコブシの下ろし先として現地に向かったようなものだった。



■不安

呼びかけから日一日と経つうちにも、被災地での支援物資の状況は、報道によるとどんどん良いほうに向かっているようだった。
すると。もしかしてオラホらが現地に入る21日ころには、物資も潤沢に回り、自分たちの支援物資など被災者にとってゴミ同然なんじゃないか?という疑念が三人の間でふつふつと沸いてきた。
TVでは、「無駄な古着は焼かれている!」とか流すし、知り合いから「そんなもの仕分けの迷惑になるだけだ」とか言われちゃうし、支援センターに電話したときは「一般の方の支援物資の輸送は推奨していないんですよぅ。」とも言われた。

あ〜、そうかい!と言いたくなったが、向こうもこちらに怪我などされたら困ると思ってのことだろうから、立場的に仕様がないのか、と思って飲み込んだが、釈然としない。
「何も協力はできないですが、がんばってきてください」くらい言えないものなのだろうか?
もともとはガソリンがなくて輸送に難儀してると思っての行動だったんだが、官は一般市民を使おうという発想はなかったようだ。

そんな逆方向のベクトルに一時は、やめようか・・・と言う空気が三人の中に漂い始めたが、宮古からはるばるいらしたお客さんが、オラホにほんの少し勇気をくれた。

「そんなことないわよ。いくらでも欲しいはずだわ。決して無駄じゃないわよ。」

この「無駄じゃない」は、その後三人の合言葉のようになったが、結局現地に到着する最後まで、喉に引っかかった魚の骨のように、不安はずっと三人の胸から取れないままだった。



■江刺で合流

各個輸送する方法も取れなくはなかったが、江刺で高野さん(仮に“T”)が1tトラックを調達したと言うので、積荷を一つにまとめて現地に向かうのが、貴重な燃料を有効に使う方法と思われた。
そこで前日20日(日)にオラホと山崎さん(仮に“Y”)の荷を一つにまとめて江刺入りし、そこでまたひとつにまとめる、と言う計画になった。

ところが、この計画も盛岡で一つにするには量が多すぎて、個別に江刺入りすることになってしまった。
さらに、緊急車両優先で高速道路が使えないため、江刺までの移動時間が予想以上にかかってしまい、高野さん(仮に“T”)の店に着いたころには、とっぷりと日が暮れていた。
その上その日は小雨模様。
積荷作業の条件として、最悪とは言わないが決して良いとも言えない。

きっと素行に問題のあるやつがこの中にいるに違いない。
誰だ!誰なんだ?
オラホは普段からあんなことや、こんなことをしている、あやつがあやしいと思うのだが・・・、まー名前は伏せておこう。

天候を悪くした犯人探しは横に置いとくとして、積荷が濡れたのでは、ただでさえ受け取ってもらえるか分からない品々、中身を見る前に門前払いでは、被災者にも物資を提供してくれた人にも申し訳が立たない。
トラックにカバーをかけたまま、後ろからすばやくカバーと荷台の間に荷を滑り込ませながら

「これ、無駄になりませんよね〜」

「無駄になんかならないよ。」

と言い合い、なんとか濡らさず積荷を移し替えることに成功した。
小雨なのがせめてもの救いだった。
しかし、積んでみると、荷台が小山のようになってパンパンではないか。
こんな夜中に店の前でコソコソ荷物を積んでこの量なら、夜逃げと思われても仕方がないくらいだ。
しかし、オラホのワゴン車には、まだ手付かずの積荷が残っていた。
これはトラック1台では到底無理な量だ、と言う話になり、明日は2台で現地入りすることになった。

江刺までの予定で来たオラホのワゴン車、はたして高田までガソリンはもつのか?
実はオラホは地震の前夜、満タンにしたという強運の持ち主だったのだ。
広田半島に行ったことはないが、往復するには十分だ。
ただ、帰った後の事が幾分か不安ではあったが、それまでにはガソリン事情も良くなっていることだろうし・・・。

たぶん何とかなるんじゃないか・・・。
・・・きっと、なんとかなる。
そうさ、なんとかなるさ!
おお〜、いつものように段々なんとかなる気がしてきたぞ。

これだ、これだ〜来たぞ〜。
よし!覚悟は決めた。
2台で明日は現地入りだ。

で、何?明日は何時に起きる?
え?な、なに?もう一度・・・。

ご、5時〜!

5時起床〜?

最終的に決定を下したのは、農作業を趣味にしている山崎さん(仮に“Y”)だった。





なんか、サーバーの移転を余儀なくされたノーブル佐々木です。

お気づきだろうか?
ブログデザインが変更されたのを・・・。
そう、サーバーの移転しました。
というか、そちらに移行する、ということなので代替地に立ち退き移転、見たいな感じで縁起でもない・・・、とか思う。
でも、あんまり気に入ったデザインがなくて、何かしないとな、とも思っていたので良しとしよう。
むむ、ますます商店街の問題と被る。


■署名23000人!

岩手日報20101201

なんとまぁ、このあいだ1万超えたとお知らせしたばかりなのに、あっという間の2万越え。
みんな11月末まで大事にふところに抱えていたわけだ。
オラホは、集計には行けなかったんで、今日の新聞記事で知ったのだが、これは驚異だね。
1万の時は、どうなんだろう?的だったけど。

10月19日に初めて約40日。
500署名/日のペース。
街頭署名は1回やっただけで、そのとき集まった署名は10名にも満たなかったから、皆個々に署名運動した結果なわけだ。
そうそう、30%は県外から、とか書いてあった。
なんとありがたい。

テレビで取り上げられたのは、ローカルだけなのだから、観光客とウェブサイトからのダウンロードなんだろう。
いや、上げててよかった。
そういえば、オラホのとこの回収箱には、千葉在住の外国人の署名が入っていたなぁ。
じゃーじゃー麺でも食べに来たのかな。



■盛岡市長の会見

日報20101202記事を保留しておいたら、本日、新たなる記事が岩手日報に掲載された。
主要な部分をテキストにおこしてみよう。


一部抜粋>>-----------------------------------------

盛岡・桜山問題で市長


地元団体に協議申し入れ


「たたき台とらわれず」


盛岡市の谷藤裕明市長は1日の記者会見で、桜山神社参道地区の史跡復元構想について、「白紙撤回」を求めている地元団体に対して正式に協議の申し入れを行ったことを明らかにした。

文書は11珂30日に市長名で地元の内丸第2町内会、東大通商業振興会に提出。

「地域との合意形成を前提に市のたたき台にとらわれることなく協議したい」などとして、市が殷殷方針を示す協議の場への参加を要請した。

谷藤市長は「さまざまな意見を踏まえてスケジュール、計画書の表現などを柔軟に対応したい」と説明。

協議への自らの出席についても「いつでも必要な時は対応する」と前向きな姿勢を示した。


これに対し、地元団体は4日に役員会を開き対応を検討する。

同振興会の颯田原会長は「市の案を持ち込まないのなら協議に応じることは可能。一歩前進と捉えており、役員会に諮りたい」と語る。


抜粋終わり>>-------------------------------------------------------------------------

昨日、この「協議の申し入れ」のコピーが主だったところに配られた。
明後日に行なわれる商店街の臨時総会に披露され、報道を通じて公になると思うが、市の柔軟姿勢と読み取れる文言の記載が確かにある。
欲を言えばきりがないので、これを足がかりに市と足場の高さが近いところで話し合いを持つことが出来ると期待したい。
ちなみにその文言とは以下の一文。

・・・地域との合意形成を経て進めること・・・

いや〜、良い一文だねぇ。
「白紙撤回」とは言ってないけど、これは事実上の白紙撤回といってよいだろう、と思う。
白紙撤回しても市の意向は変らないだろうから、同じことだよね。

ここからいよいよ本番と言うところだな。






今日は良い負債の日?とおもったら、ああ〜ん、良い夫妻ね。
人差し指と親指で洗濯物を持って行かれるノーブル佐々木です。



ふと気が付くと、3週間近く更新が滞っていた。
ふっ、また時に追い越されちまったぜ。


■署名1万人分集まる

いや、正確には集まってるころ、かな?
先週の土曜日(11月20日)に、NPOみどりの相談室の方々と合同で、池の淵の落ち葉拾いがあったのだが、その際会長の颯田氏から

「9千○百○名分署名が集まりました〜。」

※○は覚えていない数字。

との報告があった。
この場を借りて、協力していただいた方々には、ふかくふか〜く感謝いたします。
ありがとうございました。
あれ?何か軽いな・・・。
でも本気ですから。

んで、オラホのとこにも、今200名分があるので、現時点で町内かき集めれば間違いなく一万は超えるだろうと思われる。
まだ目標の5分の1に達したにすぎないが、ここを通らなければ次が見えてこないわけで、取りあえずは一安心、と言ったところ。

ほぼ1ヶ月で1万人というのは、ペースとしてはどうなんだろう?
結構良い数字と言う話も聞くんだけど。
ちなみに11月末でいったん集計するのだが、これは12月の市議会を見据えてのこと。
このままのペースを維持したとしたら、半年くらいで5万人の目標は達せそうだが、それでは市が結論を出すという3月には間に合わない。

しかしながら署名の目的のひとつは、計画案の白紙撤回なのだから、市が3月前に白紙撤回を決定したならば、その時点で目的の半分は達成したことになる。
目的の残りの半分、つまり商業地への変更は、もちろん商店街にとって重要な案件であるのは変わりないが、市との協議が実現するなら、その中で実現化も可能だろうから、後回しにしてもいいような気がする。
つまり、5万人分集める前に終わる可能性もありうる。

あ、ありうる、って何か言い方が、お役人みたいになってきた気が・・・。

いずれ、口約束や雰囲気で良い方に解釈する愚は、繰り返すわけには行かない。
しっかり資料に残る形で文書化するまでは、気を緩めるわけには行かないのだ。
安易な予想や空気感は禁物。


おお〜、今日は短っ!


靴下は2段目の引き出しだった事に気付いたノーブル佐々木です。

今回は短いぞ、と。


■署名回収箱

今日は、例によって商店街の会合があった。
とは言っても、知らない人には知らない話でございますが。
市から「桜山神社参道の…」が発表がされてからは、ほぼ週2のペースで会合を開いている。
皆、営業中にもかかわらず、事が事だけに出席率が良い。

今日は、署名用紙の回収箱を作った。
「感情的で過激な主張は困るよなぁ。」とか「なんか、違う方向に行っちゃうんだよなぁ」などと言いながら、和気あいあい作業していた。
作業と言っても、下準備が完璧で「投票用紙あります。」と書かれた紙を段ボール箱10個ほどに貼るだけだったので、30分もすると作業は終了。
これから話し合いの本番と言う時、誰かが言った。

「いや〜、これ『回収箱』とか書いた方がよかったんじゃないですかねぇ。」

「…え゛!?」(颯田会長)

どうやら、プリントアウトするファイルを間違えたらしい。(嫁さんが)
そして会合は、30分前にタイムリープした。
時をかける商店街の完成だ。


■桜山宮司「契約更新はしない」を否定(したらしい)

なんというか、喜ぶべきことではあるけど、何ともお粗末。
“来た!「桜山神社参道の将来像について」9”でお伝えした悪いニュースがデマらしい。
新聞にも報道されたが、宮司が村田市議に語ったという「神社は借地の契約更新はしない」と言う話のこと。
氏は市議であり、マスコミの大勢いる中での発言だったので、無条件に信じてしまっていた。

しかし、今日の会合で吉田屋の山崎氏(以下“ダボさん”、由来は忘れた)が、「そんな話は、誰にもした覚えがない。」と村田氏の発言を否定した本人談を教えてくれた。
ま、これも確認はとっていないので、伝聞と言う事になるからはっきりしてはいない。
結局、どちらも伝聞、と言う意味では同じレベル。
公・私の立場と、公式・非公式の違いはあるけど。

本来なら、これを自ら確認して書き込むべきなのかな〜、とか思わないでもないけど、アホ面下げて会いに行くにはまだ賞味期限内だし、オラホが聞いた話、と言うだけではあまりに軽すぎる。
ここはしっかり宮司の口から皆に説明するのが一番だな。



■「契約更新しない」デメリット

自らのブログで、宮司はなんか怪しい…的な事を書き込んじゃったんで、人間関係が少し心配なのだが、怒らないでね宮司さん。
ごめんよ。
さて、宮司の怒りが収まったところで(は?)、神社が契約更新をしなかったらどれだけ困るか、って話をしよう。

まず、何といっても地代収入が無くなる。
具体的な金額は知らないが、年間数百万と言う事はないだろう。
いや、これより下でなく上、と言うことね。
これは、間違いなく神社の経営基盤を揺るがす。
いや、崩壊かな。
そして、例大祭などで募るお布施(寄付)もなくなる。

駐車場は、どうかな。
地域外に借りたい人は山ほどいそうだから、そっちは大丈夫かも。
お祭り要員としての地域の貢献度は、正直あまりあるとは言えないかな。
昭和40年代までは、桜山神社のお祭りはすごかったんだけどね。

あれれ、こうなると結局地代収入とお布施だけか?
んん〜、困ったもんだぞ、それだけなのか?
いやいや、そんなことはないぞ。
商店街でイベントして盛り上がれば、それはそのまま神社のPRにもなってたはず。
「神社を中心とした街づくり」これをしてきたはずだ。
あれ?どっかで聞いたコピー。
まあいい、適当にこじつけただけだから。

と、こんな感じで、神社だって困っちゃうんだ。
だからいまさら言うのも恥ずかしいが、契約更新しないって聞いた時には、どうして?と思わずにはいられなかった。
なにか強力な力が働き、それが市長なのか!と思って納得してしまったんだな。

とは言っても、まだ、契約更新をすると決まったわけではない。
宮司だけの意向で物事が進まない現状があるからだ。
それは、現在は神社の一部となっている“イワマ靴店”跡地、「おやすみ処」が設けてある場所のことだ。

今思えば、あれも「城を中心とした街づくり」の一環だったんだろう。
あれは、みどり課の方針でNPOが運営しているのだが、所有は桜山神社となっている。
あれ?って思うでしょ?
所有は神社で、使ってるのは市。

貸してるのかな?
どういう成り行きでそうなっているのか定かでないけど、自由に使わせくれないと宮司が嘆いていたことがあった。
とまぁ、こういう現状を知っているので、今後の事は本当に分からない。

出来る事と出来ない事があり、それに従うしかないと翻弄させられているのに、それを決めた者だけは自在に運用し活用している。
そんな風に見えるのは、気のせいなんだろうか?



■路上で署名運動します!

まず、それは横に置いといて、来週は路上で署名運動だ。
予定では金曜日、朝8時。
場所は、サンビル前の交差点だっけ?
例によって商店街の法被を羽織ってやりますぞ。
気持ち悪いとか、言ってる人もいるようだが、「白紙撤回」に向けてなり振り構ってる暇はないんだ。

最近は、こう言うのが増えたな〜。
郊外に寝に帰る派(?)としては、出てくるのが苦労だがそんなことは言ってられない。



■テレビ報道(岩手放送、めんこい岩手)

岩手放送、めんこい岩手と特番組んで放送しとりましたね。
めんこいは、地元住人の思いが単なる「立ち退き反対」ではないんだ、と言う切り口だった。

地元住人の気持ちをうまく伝えていたと思う。
パークの鈴木さんにスポット当たってたが、オラホの母親と同世代でリアル当事者。
なんだか、うちもあんな感じだな。
なんだかんだ言って、市との約束を忘れてはいないし、それ相応に振る舞う覚悟がある。

この世代の人たちだけだったら、反対運動もおきなかったかもしれない。
でも、二代目のオラホ世代では、もうすっかり根をおろしてしまっているし、三代目に引き継ぐことも人生設計に入ってしまっている。
50年とは、それだけの時間なんだ、と今更ながら身に染みる思いだ。

一方の岩手放送は、ま、またオラホのワナブル映像使いやがった。
報道は従来路線だったが、やはり少し抑え気味の感じかな。
ところがこの放送、裏番組だったんで録画してしまった。
ちきしょ、忘れかけてたのに、家族全員大爆笑しやがった。
オマエら7キロ歩いて帰れ。

こっちのメインは、吉田屋の女将さんだった。
へ〜、10歳の時からここに住んでるんだ。
知らなかったな。
気持ちは二代目と変わらないかも。
めぐる〜、めぐるよ〜、時代はめぐる〜。


あ〜、どこが短いぞ、だ。
結局、長文駄文しちまった。
画像資料もなにもないのに読んでくれてありがと。