2017/04

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笛吹き峠で時刻を見たノーブル佐々木です。
いや、4ヶ月ぶりに更新したら少し力が入りすぎて、久々に夜更かしした。
たぶんアクセス数も落ちてるだろうなぁ〜と調べてみると、ん?わずかだが妙に上がってる日がある。
リンク元はどこだ?・・・ん〜と、ヤフーサーチ・・・か。
ふ〜ん「ノーブル佐々木氏の救援物資日記」かぁ・・・。

ぬぁ、ぬぁ、ぬぁにぃ〜!?

いつのまにかオラホは、自分で更新したブログを忘れてしまうほど極度の認知症になっていたのか?
早い!早すぎるぞ!脳!
と、思ったらアミューズ高橋氏がオラホのメールをブログに公開しやがっておりました。
おのれめ、ネタに使いおった。
このネタ切れ王子め。
みてろ、あんな事とかこんな事とか、いつかネタにしちゃうからな。


■出発

朝5時というのは、春分を間近に控えているとは言え、まだ夜と見分けはつかない。
それでも顔を洗ったり朝食を摂ったころには、辺りがほのかに明るくなってきた。
天気予報どおり小雨が振っている。
だから余計に暗く感じたのか、と空を見上げる。

昨夜のうちに積荷の準備は万端だった。
トラックにポリタンクで給油し、山崎さん(仮に“Y”)と高野さん(仮に“T”)が乗り込み、ワゴン車にはオラホが乗り込んだ。
時間は5時半あたりか。
そして2台の「支援物資輸送し隊BaiS」は小雨の降る朝靄の中、静かに出発した。


■住田町・再会

「支援物資輸送し隊BaiS」の“BaiS”とは、岩手県美容組合青年部のこと。
正直、オラホ以外今回の輸送隊をこんな風に呼ぶ者はいない。
基本的に“形から入る派”なので勝手に名付け、勝手に呼んでいる。

さて、実は県南の沿岸までの地域はオラホにとって、まったく未知の領域だった。
そう言うわけで地の利のある高野さん(仮に“T”)の運転するトラックが先陣だ。
目的地は陸前高田・広田半島だが、途中住田町世田米の親戚に避難している大船渡の同業者Sさんを訪ねることになっていた。

住田町は北上山系の山間にあるこじんまりとした町で、元は宿場町だったらしい。
奥州市江刺からは、国道397号線から盛り街道と呼ばれる107号線に乗り換えして約50kmの道のりだ。
長く山沿いののぼり坂を越え下り坂に入り、山地の向こう側に出たかと思った辺り、国道から脇道に入ると唐突に商店街が出現した。世田米だ。
Sさんは通りの中ほどにある銀行前で待っていた。
2年振りの再会だ。

彼の店舗兼住宅だった店は鉄筋3階建てで、全壊は免れたらしいが屋根まですっぽり波に沈み、家財は瓦礫におき変わってしまったらしい。
レジの中にある金だけ持って命からがら一家で避難したという。
彼の境遇を思うと思うと心が折れる。
誰も命を失うことなく避難できたことだけが唯一の救いだ。

見飽きるほどテレビで見たので、その様子を想像することは容易だが、実際に被害に会った人を前にして掛けられる言葉の選択肢はあまりに少ない。
「大変だったね」「お気の毒に」「気持ちを強く持って」「なんとかなるよ。」「気を落とさずに」
どの言葉を選んでもありきたりで、自分の気持ちを表現するのには物足りない気がしてしまう。

まるでテンプレートだけで作った年賀状のようだ。
他の二人もそれぞに思うことがあるのか口数は少ない。
彼はお終いにこれからの住まいのこと、商売を続けていく決意を話した。

「だって、それしかできないもの。」

そうだ、そうだよな。
オラホたちもそうだ。
そうやって頑張るしかない。
しかし、なんだ、オラホらは「支援物資届け隊BaiS」だったんじゃないのか?
今彼にしてやれることがあるだろう。

「いやぁ、別に何も要らないなぁ〜。」

実は昨夜電話で彼から同じことを言われていた。
遠慮してるのか?と思い、会えば何かあるだろう、と期待して誘ってみたが返事は変わらなかった。
結局手近にあった外用薬を一個、無理やり彼の手に握らせた。
そうして30分ほど立ち話をし、オラホら三人は別れを惜しみながらも先を急ぐことになった。
陸前高田まであと16kmだった。


■受け取ってもらえなかった荷物

Sさんに現地の案内を頼めれば多少心強かったのだが、「今日、息子の登校日でさ〜。」というので断念した。
昨日はそのためにガソリンスタンドで給油の長い列に加わったと言う。
これまでも、挨拶代わりの親バカぶりは散々聞かされていていたが、やはり彼はこんな時でも親バカだった。
そんな何も変わっていない彼にオラホは癒された気がした。
あべこべな話だ。

しかし彼の癒しも、時間とともにまた荷物のことがだんだんと気持ちを占めるようになってきた。
やはり必要とはされないのだろうか。
大きな支援センターで受け取ってもらえないというのなら、飛び込みで小さな避難所を見つけて持ち込むしかない。
そんなことを昨夜三人で話し合っていたが、やはりこの方法しかないのか。

そう、陸前高田に着くまで皆そう思っていた。


■陸前高田

時間は朝の8時を過ぎていたと思う。
高田街道の谷間を縫う長い下り坂を走っていた。
案内表示ではどうやら陸前高田市に入ったようだ。

道路の右側には川が流れていた。後にこれが気仙川ということを知った。
そのうちカーテンが左右に分かれるように谷間が広がり平らな土地が徐々に広がってきた。
どうやらこの辺は緩やかな扇状地になってるようだ。

川もそれにつれて広がりはじめ流れも緩やかになり、川原が原っぱに変わってしばらく経った時、異変に気づいた。
最初は上流から流れてきた木っ端が所々積み重なっているのだと思ったが、道を行くほどにどんどん数が多くなってくる。
よく見ると木っ端と思った重なりが、実は建材の残骸だと気づいた。

まだ海は視界に入ってこないこの地まで津波が押し寄せたと言うのか?
まさか・・・。にわかには信じられない。
あたりは畑も見え、家屋もぽつぽつと見えてきた。
しかし、畑の中にまるでそこにボソッと置かれたような車が、ここに到達した津波が決して浜辺に打ち寄せる波の類ではないことを物語ってた。

先を見ると所々に瓦礫の塊らしきものが点在している。
ある地点から向こうは、子供が遊び散らかしたような雑然とした様相だ。
色彩は枯れた草の色が、視線を遠くにするにしたがって灰色と変化し、そのまま平野へと続いている。

海辺まではあとどれくらい?3kmくらいあるのではないか。
ここからはまだ両側の山でさえぎられ、市の全景は見えない。
だが、見える部分すべてが累々とした瓦礫ということだけは分かった。


■老人との出会い

視線を手前に戻そう。
今いるこの辺りは家屋が健在である。
畑も先を見れば瓦礫のようなものは見えるが、まだこの辺は冠水なかったようだ。
ただ河川に沿って津波が押し寄せたらしく、両岸は木材系の残骸が所々あるだ。

とそのとき、ある家の前で数人の男性が家の門の辺りでたむろしているのが目に留まった。
前を走っていたトラックが減速しそのまま脇に寄って止まった。
こちらもその後ろに車を止める。

ほどなく山崎さん(仮に“Y”)が降りてきて、その一団に向かって歩いて行く。
まるで引き寄せられようにオラホも車を降りてそちらに向かった。

「おはようございます。実は僕ら盛岡から支援物資を運んできたのですが・・・。」

こういうときの彼の行動は早く躊躇がない。
彼らに積荷を受け入れてくれそうな避難所を聞き出すつもりなのだ。

「こんな所にまで津波が来たんですね。」

「あ〜、んだ、ほれ、そこのマンホールまできたのっす。」

答えた70歳くらいの男性は数メートル先の道路の真ん中にあるマンホールを指差して言った。
他の数人も皆男性で。±10歳といったところか。

「僕ら今朝盛岡を出てきたんですが、この惨状を見て・・・。」

声が喉に詰まって最後はもう聞き取れなかった。
それを見て鼻の奥に力が入り、喉の奥から込み上げてくる物を感じた。
いつのまにか車から降りてきた高野さん(仮に“T”)もそんな表情をしている。
老人は、そんなオラホらの様子を特に気に掛けるでもなく、まるで世間話をするように話した。

「なぁに、俺もこの格好のまま逃げて来て、今ここさお世話になってるのす。」

この人のためにできる事がある、と少しくらいうれしい気持ちになったとしてバチは当たるまい。
誰しも一度くらい、サンタクロースになってみたいものだ。
そこにある積荷からかれが必要とするものを持ってくるだけでいいんだ。

「いや〜、それは受け取るわけにはいかないよ。」

ほがらかに彼は言った。
またしても受け取り拒否か。
なぜ受け取ってもらえない?

「支援物資は被災者みんなのもの。おらだけが受け取るわけにはいかないよ。」

ああ、そうか、そういうことだったのか・・・。
心のもやもやが消え、何か塊がさらさらと溶けていくような気がした。
そして堰を切ったように涙があふれ出した。
どんなに、どんなに力を込めようと、あふれる涙を抑えることができなかった。
どんな状況でも他人を思いやる気持ちを失ってはいけない。
確かにそうだろう。頭では分かっている。
しかし、同じ境遇になったとき、同じ言葉が自分の口から出るだろうか?

人目をはばからず三人は号泣していた。





JUGEMテーマ:地域/ローカル

震災犠牲者の冥福を祈ります。
そして、今よりも、ほんの少しでも多くの幸せが被災者に訪れることをお祈りします。
ノーブル佐々木。
 
■地震のノーブルでは

平成23年3月11日(金)2時46分、盛岡では震度6強の地震があった。
生まれて初めて経験した最極の地震だった。
築51年のこの店が良く耐えたと思う。
鉄骨で補強してたせいかもしれないが、界隈で建物が損傷した話は未だ聞いていない。
不思議なことに店に陳列している商品も、たった一個リンスが床に落ちただけで無事だった。
 
たまたま来店していたお客さんは、カラー後のシャンプーが終わったところで、リンスこそできなかったが、うちのカラーリングは酸性なので、髪もサラ艶、仕上がりには何も問題がない。(少し宣伝が入っているが許しなさい)
ただ停電してしまったので、ドライヤーが使えない。しかし、嫁は丹念に手を入れて人肌で乾かしてしまった。
みんなワタワタして、道路に飛び出してるのに、地味にスゲー嫁・・・。



■陸前高田に支援物資を届けよう

唐突だが、先週の木曜日(17日)、丁度地震のあった日から一週間。江刺の同業者の高野さん(仮に“T”としよう)から電話があった。

「ノーブルさん、救援物資を被災地に届けよう、って話があるんですけど〜。」
 
こんなヤツがこの業界にいたのか・・・。
たいした漢じゃないか。
んで、なんだ?オラホを誘ってるわけだな。
 
「みんなに呼びかけたいんですけど、メーリスでノーブルさん流してくださいよ〜。」

ぬぁに!それではまるでオラホが発起人みたいになってしまうじゃないか。
相手を見て物を言いやがれ!とは、言わなかったが、重い、荷が重いぞ!
しかし、こいつなら適当にみんなを煽ってくれるだろう〜的な作文を作るだろう、という過分な評価に気持ちよくなってしまったオラホは、結局引き受けることになってしまった。
 いいのか?それで。

んで具体的にメールに盛り込む内容としてはどうする?
まず、物資の提供のお願いね、はいはい。
決行は何時にする?21日(月)?
うん店がお休みの日か、良いんじゃない。
金土日と三日間あれば、物資も何とか集まるだろうしね。
そうだ、櫻山商店街と盛岡の組合支部にも声かければ、なんとかなりそうじゃん。

みたいな会話でメール内容は決定。
よし速攻でメール打つぜ。まかしときな!
けど、しっかりフォローメール頼むぜ、気がついたら後ろに誰もいなかった、なんて真っ平だからな。

しかし、陸前高田から帰ってくるまで、とうとう高野さん(仮に“T”)からフォローがくることはなかった。



■支援物資

支援物資を送るには支援物資を集めなければならない。
この場合、企業だったら資金もそれなりにあるだろうが、気持ちとしてはオラホらも被災者だ。
今後の営業のことを考えると不安で仕方がない。
月々のローンの返済もあるし、実弾は僅かだ。(あ〜世知辛い)

それでも、櫻山商店街や盛岡の美容組合理事で運用しているメーリスに呼びかけてみたら、10人ほどから提供を受けた。
それでもオラホのワゴンがいっぱいになるほどだった。

半分は古着、その他には靴、紙おむつ、食品、マスク、歯ブラシなど等。
現金を出した方もいたが、正直取り扱いには困った。
悩んだ挙句、スーパーで食品を買うことでよしとすることに決めた。

その間、盛岡の同業者山崎さん(仮に“Y”としよう)が加わることになり、実働部隊は3人となった。
おっと、この三人にはオラホも入る。
呼びかけといて、え?オラホは呼びかけただけさ〜、などど言えるはずがないじゃないか。



■目的地

物資が続々集まりだした辺りから、目的地の選定に入ったが情報が足りない。
あまりに広範囲で、どこに行ったらよいか分からん。
それでも取り敢えず“大槌”にしようと、と言うことになった。

理由は、あまり報道に出てこないから。
変な話かもしれないが、報道されているところは、すでに人が行きやすい状況だから物資も届いているだろう、と言う判断からだ。
結局、陸前高田・広田半島に変更されたが、知り合いが彼の地にいる親戚に支援物資を届けてきた、と言う情報が随分役に立った。

実際、現地に行こう、という一般人が得られる確実な被災地情報は、官を除けばテレビ・ラジオくらいなものだ。
ネットは確実性から言えば、さほど頼りになるとは思えなかった。
現地の人は、ネットに書き込むことができないのだから、間接情報にしかならないし、このころは一般の人が支援物資を届けたと言う話は、あまり書き込まれてはいなかった。

気持ちだけで実行することの難しさを痛感した。
物資は集まるし、行き先は決まらない。
最後は、振り上げたコブシの下ろし先として現地に向かったようなものだった。



■不安

呼びかけから日一日と経つうちにも、被災地での支援物資の状況は、報道によるとどんどん良いほうに向かっているようだった。
すると。もしかしてオラホらが現地に入る21日ころには、物資も潤沢に回り、自分たちの支援物資など被災者にとってゴミ同然なんじゃないか?という疑念が三人の間でふつふつと沸いてきた。
TVでは、「無駄な古着は焼かれている!」とか流すし、知り合いから「そんなもの仕分けの迷惑になるだけだ」とか言われちゃうし、支援センターに電話したときは「一般の方の支援物資の輸送は推奨していないんですよぅ。」とも言われた。

あ〜、そうかい!と言いたくなったが、向こうもこちらに怪我などされたら困ると思ってのことだろうから、立場的に仕様がないのか、と思って飲み込んだが、釈然としない。
「何も協力はできないですが、がんばってきてください」くらい言えないものなのだろうか?
もともとはガソリンがなくて輸送に難儀してると思っての行動だったんだが、官は一般市民を使おうという発想はなかったようだ。

そんな逆方向のベクトルに一時は、やめようか・・・と言う空気が三人の中に漂い始めたが、宮古からはるばるいらしたお客さんが、オラホにほんの少し勇気をくれた。

「そんなことないわよ。いくらでも欲しいはずだわ。決して無駄じゃないわよ。」

この「無駄じゃない」は、その後三人の合言葉のようになったが、結局現地に到着する最後まで、喉に引っかかった魚の骨のように、不安はずっと三人の胸から取れないままだった。



■江刺で合流

各個輸送する方法も取れなくはなかったが、江刺で高野さん(仮に“T”)が1tトラックを調達したと言うので、積荷を一つにまとめて現地に向かうのが、貴重な燃料を有効に使う方法と思われた。
そこで前日20日(日)にオラホと山崎さん(仮に“Y”)の荷を一つにまとめて江刺入りし、そこでまたひとつにまとめる、と言う計画になった。

ところが、この計画も盛岡で一つにするには量が多すぎて、個別に江刺入りすることになってしまった。
さらに、緊急車両優先で高速道路が使えないため、江刺までの移動時間が予想以上にかかってしまい、高野さん(仮に“T”)の店に着いたころには、とっぷりと日が暮れていた。
その上その日は小雨模様。
積荷作業の条件として、最悪とは言わないが決して良いとも言えない。

きっと素行に問題のあるやつがこの中にいるに違いない。
誰だ!誰なんだ?
オラホは普段からあんなことや、こんなことをしている、あやつがあやしいと思うのだが・・・、まー名前は伏せておこう。

天候を悪くした犯人探しは横に置いとくとして、積荷が濡れたのでは、ただでさえ受け取ってもらえるか分からない品々、中身を見る前に門前払いでは、被災者にも物資を提供してくれた人にも申し訳が立たない。
トラックにカバーをかけたまま、後ろからすばやくカバーと荷台の間に荷を滑り込ませながら

「これ、無駄になりませんよね〜」

「無駄になんかならないよ。」

と言い合い、なんとか濡らさず積荷を移し替えることに成功した。
小雨なのがせめてもの救いだった。
しかし、積んでみると、荷台が小山のようになってパンパンではないか。
こんな夜中に店の前でコソコソ荷物を積んでこの量なら、夜逃げと思われても仕方がないくらいだ。
しかし、オラホのワゴン車には、まだ手付かずの積荷が残っていた。
これはトラック1台では到底無理な量だ、と言う話になり、明日は2台で現地入りすることになった。

江刺までの予定で来たオラホのワゴン車、はたして高田までガソリンはもつのか?
実はオラホは地震の前夜、満タンにしたという強運の持ち主だったのだ。
広田半島に行ったことはないが、往復するには十分だ。
ただ、帰った後の事が幾分か不安ではあったが、それまでにはガソリン事情も良くなっていることだろうし・・・。

たぶん何とかなるんじゃないか・・・。
・・・きっと、なんとかなる。
そうさ、なんとかなるさ!
おお〜、いつものように段々なんとかなる気がしてきたぞ。

これだ、これだ〜来たぞ〜。
よし!覚悟は決めた。
2台で明日は現地入りだ。

で、何?明日は何時に起きる?
え?な、なに?もう一度・・・。

ご、5時〜!

5時起床〜?

最終的に決定を下したのは、農作業を趣味にしている山崎さん(仮に“Y”)だった。



義父

ミンティア・ダイハードを食べるとくしゃみが出るノーブル佐々木です。
ちなみに春には鼻水も出ます。

昨年他界した義父(嫁の父)が、晩年、自ら調べた系図をオラホに見せてくれたことがあります。
三十八を過ぎると日本男性の二人に一人は、人生の中間地点を過ぎたことになりますが、人は終末を意識すると「らしさ」と言うか「アイデンティティー」と言うか、社会における自分の立ち位置を探りたくなるものなのでしょう。
つまり、義父にとって系譜の探索は、血液検査みたいなものだったのではないのか?と、オラホは思うわけです。
そう言うオラホも五十に手の届きそうになり、この心境が理解できるようになってきた様に思います。

その義父の話の中で、何世代か前に刀鍛冶がいたと言う下りが強く印象に残っていた事もあり、伝統的な日本刀の製法について漠然とした好奇心を抱いていました。
今回YouTubeで、たまたま見つけた映像は、そんな事がなければやり過ごしたかもしれないものです。
そう言うわけで、まずは義父に合掌。



武士道と日本刀

この番組の元ネタがどこなのかよく分かりませんが、よくまとまっています。
例えば日本刀の製造過程について、オラホが知った事を以下に挙げてみます。

1.日本刀の製造には、15人の熟練職人が関わっている。

2.島根県で日本刀に最適な砂鉄が産出し、たたら製鉄によって「玉鋼(た
  まはがね)」と呼ばれる鋼の地金が作られている。

3.刀鍛冶は、その鋼を折りたたみ打ち延ばす、と言う工程を12回以上繰
  り返し、最終的に厚さ1センチに4千以上の層が出来上がる。

4.さらに粘りのある鉄を堅く鋭い切れ味を持つ鋼の間に入れ込み、二層構
  造にし、切れ味を保ちつつ折れない特性を持たせる。

5.特殊な土を棟側に塗り急激に冷やすことで冷やすことで、刀に反りが生
  まれる。

6.研磨には特殊な土が使われ、直接素手で磨かれる。


大まかにはこんなところ。

内容には関係ないですが、ナレ−ションで「世界一の都市『東京』」なんて、少し持ち上げすぎのコメントはあります。
映像のタイトルに“Japanese BUSHIDO and Samurai Sword ”とありますし、インタビューに答える日本人の様子が、外国人に分かりやすいように丁寧にゆっくりと話してる感じからすると、日本の制作ではないかもしれません。
全編が5分割され全部観終えるには50分近くかかりますが、よかったらご覧ください。




武士道と日本刀 Japanese BUSHIDO and Samurai Sword [1/5]





武士道と日本刀 Japanese BUSHIDO and Samurai Sword [2/5]





武士道と日本刀 Japanese BUSHIDO and Samurai Sword [3/5]





武士道と日本刀 Japanese BUSHIDO and Samurai Sword [4/5]





武士道と日本刀 Japanese BUSHIDO and Samurai Sword [5/5]