2017/12

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外でカレーを食べると、ご飯があまるノーブル佐々木です。

「カレーが足りない〜」
と言うと「むっ」とされるかもしれないので
「ご飯が多いので、カレー足してください。」
と、言ってみようかしら。



■ダンス・カバー その2

前回の続き。

「ダンス・カバー」と言うと、歌手と同じ振り付けでダンスするわけだが、
アイドル創生のころのアイドル達は、現在に比べると随分と大人しいスタイ
ルで唄っていた。
手の動きや顔の表情で、感情表現するくらいで、あまり振り付けと呼べるも
のはなかった。
時代的に、純真で可憐な少女を演出する目的もあったろうが、結局は、エン
タメとしての素地がまだ未発達だった、ということだろう。

昭和46('71)年デビューの代表的なアイドル歌手、南沙織を見るとわかる
が、ほとんど動きがない。
この映像には出ていないが、このころはスクールメイツと言うバックダンサ
ー集団がいて、チアガールよろしくポンポン持って後ろで踊っていたもの
だ。
当時のガキどもは、歌手より彼女らのパンちらで脳がとろけていた。
※そのガキとは、オラホのことだが…
そして、その前でアイドル歌手は軽い振りで歌うスタイルが一般的だった。

・南沙織−17才


沖縄県出身の南沙織は、昭和46年('71)にデビュー。
「17才」はそのデビュー曲である。
すらっとした脚と、ミニスカートが強烈な印象を与えるが、ここではそこに
触れないぞ、と。(ネタのある振りはやめろ自分)
ま、御覧の通り動きは地味なものであるが、当時は初々しく受け止められ気
持ちも身体も盛り上がったものなのだ。

さて、その一方、オラホの記憶によると、振り付けをしながら歌うスタイル
で、当時の青少年らの記憶に、一生焼き付いて離れないオコゲを作った、最
初のアイドルは、麻丘めぐみである。
しかし、デビュー曲の「芽ばえ」('72)では、さほどの振り付けはない。

麻丘めぐみ - 芽ばえ


しかし、5枚目のシングル「私の彼は左きき」('75)では、(50万枚の大ヒッ
ト)振りも明確に、そして大きくなっている。

麻丘めぐみ - 私の彼は左きき


また、同時代にアイドルとして君臨していた天地真理もまた、デビュー曲
「恋は水色」
では、大した振りを見せていないが、7枚目のシングル「恋す
る夏の日」
では、振り、というか決めポーズのようなものを取って歌うスタ
イルに変わっている。

天地真理 - 恋する夏の日


カラオケの登場は、まだ5年ほど待たないといけないこの時代で、男子が野太
い声で、アイドルの名前を連呼していた時には、すでに少女たちは、このア
イドルの振りを真似ながら、レコードに合わせて歌っていた。
この後、振り付けをしながら歌うスタイルは、アイドルのスタンダードなス
タイルとなっていき、キャンディーズピンク・レディーの登場で、一つの
ピークを迎える。

余談だが、オラホは、パラパラ・ダンスも源流は、このアイドルの振り付け
だと思っている
。(アイドルとは限らないが…)
例えば、Wink
下の映像を見てごらんあそばせ。

Wink - 淋しい熱帯魚


ユーロビートのハイテンポではないが、振りとしてはパラパラに通じるもの
がある。
そして、極めつけは八代亜紀「雨の慕情」
58秒からの振りは、パラパラでもよく見られる振りだ。

八代亜紀 - 雨の慕情



■なんか

テーマがずれた気がしないでもない。(しゅん)
ただ、今や世界の注目されるところとなったJ-POPの歌+振り付けダンスの源
流が昨日今日の浅い物ではない、と言うことを伝えたいと思った。

正直、当時は歌謡曲を馬鹿にしていた。
今でも、当時の歌謡曲聞いて
「ええ〜歌や〜」
とは、思えないのだけど、やはり、オラホの人生の様々な場面で、BGMとして
の彩りを添えていたのは間違いない。

「文化」って、「文」(言葉)に「化ける」と書くけど、「視覚」も「音」も
こうして「文」に残していかないとね。


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