2017/08

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あれ?靴下が見えないノーブル佐々木です。


動画編集が追いつかないぞ、どうする?
まてまて、アクセス解析見てもそんなに観てる人なんておらんやん。
そやそや、じっくりやってこ。

以上、心の声抜粋。


■質疑・応答

19日の説明会が終わって2日目だけど、13日の動画編集が半分くらい終わったところ。
全部終わるころには、事が終わってるかもしれない。
う、また気分盛り下がりそう…。




よし、戻った。
ということで今回は、質疑応答のパート1だ。

◇質疑応答のパート1


質問・意見は3つ、市はこれにまとめて回答している。
どうしよう、1個ずつ取り上げるか・・・。
後のことを思うと、気が遠くなる思いだが、いけるとこまでは行ってみよう。

<質問1>
勘定所の歴史には、明るい部分だけでなく暗く重たい部分もある、これらの事をふまえて、勘定所を整備する覚悟はあるのか?(こんな感じ)


<回答>
復元をするというわけではない。“案”であり決定したわけでないので、今後とも検討を重ねていく。


質問2
整備のa-目的、b-時期、c-原資は?
d-史跡レベルの高いほうから始めた方がよいのでは?


回答
a
史跡、生活の場、特殊な商業地域という三者の違った面を共存させ、地域の人々が法律的建築制限の中でどうやって、修改築が出来るようにするかを考慮した。
b
時期については来年再来年に基本計画・設計がなされ、総合計画として予算が組み込まれ、具体的な整備事業に取り掛かる、というプロセスを踏むが、その間にはある程度の時間がかかる(氏の言葉では「ある程度の“間”がある」)。
c
原資は文化庁の補助金と市の総合計画予算枠から。
d
復元ができるに足りる資料がない。


質問3
地元と(史跡)の共存と言う事でこの計画が作られたというが、なぜ「立退き」ありきで立案されたのか?
去年から市と一枚岩で市街地を盛り上げようと努力してきたのではなかったか?


<回答>
一見、立退きと共存は相反するものかもいれないが、ここが居住と商業機能の場であることは評価している。
一方で史跡、都市公園の場でもあることも打ち消すことはできない。
市は、将来に不安を持ってここに生活する方々へ、何らかの回答しなければならない。
決して早急に立退きという事態にはならない、という事を理解してほしい。



■都市整備部部長 新沼氏

あらためて動画で彼を見ていると、柔和で冷静でおごらず、説得力のある話ぶりに感心してしまう。
声のトーンも変わることなく、噛むこともほとんどない。
台本がどこかにあるのではないか、と家宅捜査したくなるほどだ。
オラホらは、そんな彼をリーダーとするみどり課を相手に、自らの主張を訴え続けるしかない。
悲壮感漂うな〜。

ぶるるるる、おっといけねぇや、弱音吐いちまったい。
彼らは行政の王道を胸張って歩いているつもりかもしれないが、その道は庶民の歩く道路じゃないぞ。
庶民をなめるなよ!<なんのこっちゃ


■涙の訴え

それにしてもオラホのみっともないこと… orz ヘコム〜
「涙の訴え」とTVは報道した。
で、ハイビジョン、薄型の大型テレビいっぱいに映ったのは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、しまりのない唇をわなわな震わせたオラホのドアップ。
ちきしょう!
今度こそ痩せてやる!(そ、そっち?)

ま、自分で自分を撮らなかったことがせめてもの慰め。
言ってることも支離滅裂で、もう穴があったら入れてみたい。<こら!
もっとも泣きながら冷静に話す奴なんて見たことないが。
良い機会だから、何を言いたかったのかこの際書き込んでおこう。



実はと〜ても不思議に思っていたことがあった。
前年(2009)の春から今年にかけて、市の商工課と「桜山オープンカフェ」とか「雪見カフェ」を二人三脚で開催してきた。
きっかけは、市の商工課からの呼びかけ。

最初からノリノリだったかと言うと、ん〜…、どうでしょう?(長嶋風)
と言う感じだった。
今までになかったことでもあり、正直困惑した。
それもそうだろう、東大通り商店街は、100店ほどの飲食店が主体の小規模店舗街。
一人営業か家族経営の店も多い。
なので勿論、専業の事務方もいなければ事務所なんぞあるわけがない。
役員は皆本業との掛け持ちで何とか運営している状態なのだ。
やりきる自信なんてない。
困惑して当然というものだろう。

はたしてどこまでやれるのか、と役員の額に書いてあったくらいだ。(嘘はやめろ!)
しかしここで商工課が奮闘してくれた。
まるで専業の事務局長のごとき働きっぷりを見せてくれた。
しかも楽しそうだぞ、こいつらぁ。

後にこれが「市街地活性化計画」の一環だと知ったが、それがなんだ。
こんなに楽しそうに仕事してるやつらを見て、楽しくならない奴なんていない。
お役所も楽しい事するんだ。
そうオラホは思った。(非常に単純なお脳の持ち主と言いたい奴は言うがいい)
わずか一年半だが、市と商店街とは固い絆を育んできたのだ。
付け加えればそんな連携の中で、間接的だが「公園みどり課」との接点もあった。

その一方で、桜山神社参道地区の将来に関する説明会も進行していた。
こちらはみどり課が主体だが、オラホらにとっては盛岡市の側面に過ぎない。
頭はひとつなのだから、考えることは同じはず。
だから10月に出された計画案が、「商店街立退き」「勘定所風&土塁らしきものの整備」だなんて、あの商工課の親組織である市役所の案だなんてとても信じることができなかった。

そう、不思議だったこと。
どうして固い絆で結ばれたはずの彼らの脳裏に商店街の“存続”でなく“立退き”が浮かんだのか。
普通の人間の発想なら、浮かぶはずがないじゃないか。
そしてマイクを持ったあのとき、そんな思いがこみ上げて来て

「裏切られた気持ち」

と思わず口から出てしまったのだ。
“縦割り行政”と言われる意味が今なら身に染みてよくわかる。
しかし、わかったから、と言ってどうにかなるものでもない。
だから、みどり課にしたって、裏切りもの扱いしたってポカ〜ンだろう。
いや、そうでもないか。
どっかの引き出しにしまって鍵かけてる、くらいの意識はあるかも。
その根拠について述べてみよう。



■みどり課の過ち

みどり課の過ちは明白だ。
新沼氏はそれを

「説明不足」

という表現で煙に巻いている。
市は、説明会と称する会を4回ぐらい開いている。
そしてその度に

「地域住民の皆さんと協議して…」

と言い続けてきた。
しかし、質疑は受け付けてきたが、協議は一度も行われなかった。

「では、それを盛り込みましょう。」

なんて一度も言っていない。
いや、

「そう言ったことも踏まえて計画案を…」

くらいは言ってたな。
そして、そのまま全体会議に計画案を提出し了承され、それは当然そこに居合わせたマスコミの知ることとなり、世間一般に報道された。
一般に流されてしまうと、それはもうオラホらにとっては決定されたも同然だ。
市の、みどり課の過ちとは、公表前に商店街と協議を持たなかったこと、その一点に尽きる。


■「案」だったら良いのか?

「『案』ですから、決まったわけではありません。」

新沼氏は、何度このフレーズを口にしたか。
曲をつけたら間違いなくサビのパートだ。
しかし、それがたとえ「案」だとしても、その影響は測りしえない。
思いつくままそれを箇条書きにしてみよう。


この商店街に出店した若い経営者たちの機運が下がり、今後開催が予定されているイベントの協力体制が崩れ、遂には途絶える。


商店街の将来を見限ってこの商店街を出ていく経営者が現れ、後に入る店舗もなく空き店舗が目立つようになる。


店子がいなくなり家主の収入源が途絶え、売却を考えるようになるが、買い手がつかないため、市に二足三文で売るしかなくなる。


上記の経過により、店舗が激減した商店街には、人影もまばらにになり私有地で営業を続けている経営者も次第に困窮してくる。


ある程度の修改築は認められても、将来取り壊しが決まっている建物に誰も着手しようとはせず、建物が更に荒れていく。


あ〜ら、何と明るい未来予想図。
おじさん、またここで泣きそうよ。
さて、これが杞憂で終わると新沼氏は言いきれるだろうか?
「案」がなくなって実質計画に格上げされれば、もう後は市がほっといてもこの商店街は消滅するだろう。
今までのように、市役所と地元商店街の人だけが知っている内緒話じゃない。
計画だけ作ってまたこの先60年ほっておく事なんかできないだろう。

“白紙撤回”

これだけが、いまこの商店街が生き残る道であることが、お分かりいただけただろうか。









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