2017/08

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マグロ王子と呼ばれたいノーブル佐々木です。

桜山神社での説明会は全てアップした。
これにコメ加えて、今回のセンテンスは取りあえず終わりするつもりだったが、思いのほかテキスト起こしが手間どったので、オラコメ(オラホコメント)は抜き。


■桜山神社参道の将来-3-質疑応答Pt4&Pt5

・「桜山神社参道の将来-3-質疑応答」Pt2とPt3に対する回答前半


・「桜山神社参道の将来-3-質疑応答」Pt2とPt3に対する回答後半と意見


あれ?Pt4がHD動画になってない。
なぜに?
ま、いっか、今更アップしなおす気力はないもんな。
取りあえずテキストに起こしてみよう。


<質問4>
市長は「勘定所」には、土産物販売、飲食など対応できる機能を持たせたいと言っているが、既存の公共施設「おでって」や東大通り商店街を利用すれば良いのでは。わざわざ新しい施設を作る必要はないのではないか。


<回答>
商店街には市と神社の所有区分があり、(賃貸契約)更新時期が迫っている。市は(その時期に合わせて?)土地の貸し借りを含めて、将来この街をどうするか?ということを示したのであり、商店街に住む人々の仕事や生活設計を否定するものではない。これをたたき台として意見をいただき議論していきたい。





<質問5>
我々は、200年300年と言う歴史を持つ史跡の上で生活しているという事は十分認識している。しかし、我々の63年の営みも歴史と言えるのではないか?そしてある物(商店街)を壊し新たに(勘定所などを)建設するということは、(史跡保存という意味においては)疑問を感じざる得ない。


<回答>
現在、毎年1000校に及ぶ修学旅行生が盛岡を訪れていて、その方々は、現在建設が進んでいる歴史資料館などを訪れると思うし、この商店街を訪れるだろう。その機能を更に深められないだろうか?ということが考え方の基本となっている。商店街の63年は確かに歴史である。だからこそ共存を図っていく内容になっている。





<質問6>
全国から「あの桜山がなくなるのか?」という問い合わせが届いているが、整備計画案が観光目的とするなら、現在の商店街をなくすことのメリット・デメリットはきちんと算出されているのか?このような席上での口頭による質問では不十分と思われるので、20項目の質問状を出したいのだが回答はもらえるのか


<回答>
観光、非観光の区分けは定かではないが、そう言ったものを高める趣旨で考えたものである。商店街の経済効果については試算はしていない。このプランにおける効果や損失についても計算はしていない。質問状については提出してもらえれば回答する準備はある。12月からパブリック・コメントを実施し、HP上で回答も含め公開するので、できればそこに質問を寄せてもらえればありがたい




<質問7>
3年前の説明会では、駐車場と東屋を作れば観光客がいっぱい来る、と言っていた。そして今年2月の説明会では、共に良い解決策を考えていこう、と言っていたにもかかわらず、悪意に満ちたアンケートを実施し、(都合のいい)一部のみを公表した。(結果として)商店街の言い分は、民意に反した誤解を受ける可能性がでてきた。それで商店街と共存・共栄と言うのはおかしいのではないか。
またここ数年、商店街を訪れ風景をカメラに収める旅行客が本当に増えてきた。ここがそのように全国的にも珍しい場所になったのは、市の規制によるおかげ、と言う側面を持っている。しかもレプリカではなく本物の昭和の風情を残している。それを壊して関係する数百人の収入と生活を断ち、税収までも減じさせてまで史跡保存をするメリットはあるのか?なぜこの時期を選んだのか?背景に黒いものを感じずにはいられない。(編者注:このプランにより利益を得る者の操作、あるいは指示、の存在を疑っている)


<回答>
3年前の説明会においては、整備の将来像を示したに過ぎない。そこまで(実施あるいは着手すると)は、言っていない。ましてやそれにより経済が活性化する、という事も言っていなかったと記憶している。しかし、観点はどうすれば活性化できるか、と言う事はおっしゃる通り。議論いただくところは議論し、理解いただくことは理解して頂くということ。






<質問8>
過去に(市役所の方々と)一緒に(石垣ミュージックフェスティバルなどを)やってきて、このような計画案を出されて裏切られた感が激しい。人を切ってまで勘定所を作る価値はあるのか?センスのない計画であり、このままでは、盛岡がどんどんつまらなくなっていくのは間違いない。これは桜山だけの問題ではない。未来へ続く子供たちのために、皆で手を取り合って考えていく仕組みを作るきっかけにしないといけないと思う。こんなことは絶対させない。


<回答>
決して、裏切った、などと言う事はない。ここは400年、城を中心として出来上がった街である。これからも活性化のため(イベント開催に)勤めていただきたい。勘定所を作る価値、については「勘定所」と言う(一戸の建造物の)事ではない、と考えている。史跡であったことは紛れもない事実。文化庁にも言われたが、史跡は盛岡市民だけのものじゃなく国の宝であり、国の宝として守るべきものは守る。ただ、桜山地区は(史跡の)第4種の格付け地域であり自由度が効く。その中で地元の魅力をアップさせる仕掛けはできるのではないか、というのが今回の提案につながっている。






<質問9>
私が子供のころにはまだ土塁があり、そこを借りて茶屋を開いていた。昭和33年ごろ、鐘突き堂のある一部を除いて、土塁を崩して壊したのは市である。それをやっといて、復元だ、と(今更)言うのなら、当時の市政はなんだったのか?それを反省した上で行おうとしているのか?そして費用対効果をどうみているのか?壊したものを新規に作り直しても(史跡保存と言う意味で)なんの意味もないのではないか?


<回答>
良い質問だ。昭和34年、ここで現在と同じような話(計画?)をしている。土塁を壊したという事はあるかもしれないが、皆さんが戦後ここに張り付いた時に(編者注:この発言は19日の説明会で陳謝している)街並みも風紀も環境も、かなり乱れそれを改善するために(史跡保存を脇において)ある程度の区画整理をし、住んでもらう約束をした。そして、参道としてふさわしい外観を保ち、奇抜な色や外観は慎んでほしい、という約束もした。更に、後に公園とする時は協力しする、という約束もした。それは個々人というのではなく当時の厚生組合(編者注:町内の神社の土地を借り受けている人々により構成された自治組合)との事だったが、すでに60年を超えようとしている現在、今後どうするかと言う事を話し合っている(という経緯がある)。






<質問10>
史跡整備に充てる予算を、修繕費として希望者に回すことができないのか?また本丸の復元は困難であるというが、勘定所“風”が可能なら本丸“風”があっても良いのではないか?


<回答>
本丸“風”の建物についてはできない。土塁の費用を参道の意匠デザインに充てる件については、(そういう目的では)文化庁からの補助金が出ないのでやはりできないが、別の財源を使い出来るかもしれない。事業仕訳により廃止になってしまったが、統一した景観を整備するための支援を国から得られる可能性はある。







<質問11>
共存・併存の道を探る、と言っているが、市側の言う「和風感のあるイメージ」というものにそぐわなければ、共存・併存はできない、としか聞こえないのだがその辺の見解は?


<回答>
どうせ作るのならば、統一感のある街並みが良い、と考える。昭和34年当時のルールのように、けばけばしい色彩ではなく城周辺にふさわしい色合いデザイン、という内容のようなルールが良いと考える。そぐわなければならない、というものではなく緩いルールになると思っている。





<質問12>
現在この地域は、古くからある既存店と新たに参画してきた若い世代とがうまくいった形で活性化しつつあるのではないかと思う。そういうものを利用して作っていくというのが、歴史を生かした本当の街づくりなのではないか?なぜそのように考えられないのか?史跡の保存というのも、ある程度残存しているというのなら理解できるが、ほとんど失われたものを復元したとして史跡と言えるのか?


<回答>
まず市側の説明のまずさを反省しなければならないが、城を中心とした街づくり計画と言うのを漠然とながら説明してきたし、意見も頂いてきた。そして今回、進め方も一緒にたたき台として提案した。計画については各方面にも図り煮詰めていきたい。進め方については緒に就いたばかり、という認識をしている。それについて説明不足の点、進め方の点について至らないところの意見をいただきたい。





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