2017/10

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笛吹き峠で時刻を見たノーブル佐々木です。
いや、4ヶ月ぶりに更新したら少し力が入りすぎて、久々に夜更かしした。
たぶんアクセス数も落ちてるだろうなぁ〜と調べてみると、ん?わずかだが妙に上がってる日がある。
リンク元はどこだ?・・・ん〜と、ヤフーサーチ・・・か。
ふ〜ん「ノーブル佐々木氏の救援物資日記」かぁ・・・。

ぬぁ、ぬぁ、ぬぁにぃ〜!?

いつのまにかオラホは、自分で更新したブログを忘れてしまうほど極度の認知症になっていたのか?
早い!早すぎるぞ!脳!
と、思ったらアミューズ高橋氏がオラホのメールをブログに公開しやがっておりました。
おのれめ、ネタに使いおった。
このネタ切れ王子め。
みてろ、あんな事とかこんな事とか、いつかネタにしちゃうからな。


■出発

朝5時というのは、春分を間近に控えているとは言え、まだ夜と見分けはつかない。
それでも顔を洗ったり朝食を摂ったころには、辺りがほのかに明るくなってきた。
天気予報どおり小雨が振っている。
だから余計に暗く感じたのか、と空を見上げる。

昨夜のうちに積荷の準備は万端だった。
トラックにポリタンクで給油し、山崎さん(仮に“Y”)と高野さん(仮に“T”)が乗り込み、ワゴン車にはオラホが乗り込んだ。
時間は5時半あたりか。
そして2台の「支援物資輸送し隊BaiS」は小雨の降る朝靄の中、静かに出発した。


■住田町・再会

「支援物資輸送し隊BaiS」の“BaiS”とは、岩手県美容組合青年部のこと。
正直、オラホ以外今回の輸送隊をこんな風に呼ぶ者はいない。
基本的に“形から入る派”なので勝手に名付け、勝手に呼んでいる。

さて、実は県南の沿岸までの地域はオラホにとって、まったく未知の領域だった。
そう言うわけで地の利のある高野さん(仮に“T”)の運転するトラックが先陣だ。
目的地は陸前高田・広田半島だが、途中住田町世田米の親戚に避難している大船渡の同業者Sさんを訪ねることになっていた。

住田町は北上山系の山間にあるこじんまりとした町で、元は宿場町だったらしい。
奥州市江刺からは、国道397号線から盛り街道と呼ばれる107号線に乗り換えして約50kmの道のりだ。
長く山沿いののぼり坂を越え下り坂に入り、山地の向こう側に出たかと思った辺り、国道から脇道に入ると唐突に商店街が出現した。世田米だ。
Sさんは通りの中ほどにある銀行前で待っていた。
2年振りの再会だ。

彼の店舗兼住宅だった店は鉄筋3階建てで、全壊は免れたらしいが屋根まですっぽり波に沈み、家財は瓦礫におき変わってしまったらしい。
レジの中にある金だけ持って命からがら一家で避難したという。
彼の境遇を思うと思うと心が折れる。
誰も命を失うことなく避難できたことだけが唯一の救いだ。

見飽きるほどテレビで見たので、その様子を想像することは容易だが、実際に被害に会った人を前にして掛けられる言葉の選択肢はあまりに少ない。
「大変だったね」「お気の毒に」「気持ちを強く持って」「なんとかなるよ。」「気を落とさずに」
どの言葉を選んでもありきたりで、自分の気持ちを表現するのには物足りない気がしてしまう。

まるでテンプレートだけで作った年賀状のようだ。
他の二人もそれぞに思うことがあるのか口数は少ない。
彼はお終いにこれからの住まいのこと、商売を続けていく決意を話した。

「だって、それしかできないもの。」

そうだ、そうだよな。
オラホたちもそうだ。
そうやって頑張るしかない。
しかし、なんだ、オラホらは「支援物資届け隊BaiS」だったんじゃないのか?
今彼にしてやれることがあるだろう。

「いやぁ、別に何も要らないなぁ〜。」

実は昨夜電話で彼から同じことを言われていた。
遠慮してるのか?と思い、会えば何かあるだろう、と期待して誘ってみたが返事は変わらなかった。
結局手近にあった外用薬を一個、無理やり彼の手に握らせた。
そうして30分ほど立ち話をし、オラホら三人は別れを惜しみながらも先を急ぐことになった。
陸前高田まであと16kmだった。


■受け取ってもらえなかった荷物

Sさんに現地の案内を頼めれば多少心強かったのだが、「今日、息子の登校日でさ〜。」というので断念した。
昨日はそのためにガソリンスタンドで給油の長い列に加わったと言う。
これまでも、挨拶代わりの親バカぶりは散々聞かされていていたが、やはり彼はこんな時でも親バカだった。
そんな何も変わっていない彼にオラホは癒された気がした。
あべこべな話だ。

しかし彼の癒しも、時間とともにまた荷物のことがだんだんと気持ちを占めるようになってきた。
やはり必要とはされないのだろうか。
大きな支援センターで受け取ってもらえないというのなら、飛び込みで小さな避難所を見つけて持ち込むしかない。
そんなことを昨夜三人で話し合っていたが、やはりこの方法しかないのか。

そう、陸前高田に着くまで皆そう思っていた。


■陸前高田

時間は朝の8時を過ぎていたと思う。
高田街道の谷間を縫う長い下り坂を走っていた。
案内表示ではどうやら陸前高田市に入ったようだ。

道路の右側には川が流れていた。後にこれが気仙川ということを知った。
そのうちカーテンが左右に分かれるように谷間が広がり平らな土地が徐々に広がってきた。
どうやらこの辺は緩やかな扇状地になってるようだ。

川もそれにつれて広がりはじめ流れも緩やかになり、川原が原っぱに変わってしばらく経った時、異変に気づいた。
最初は上流から流れてきた木っ端が所々積み重なっているのだと思ったが、道を行くほどにどんどん数が多くなってくる。
よく見ると木っ端と思った重なりが、実は建材の残骸だと気づいた。

まだ海は視界に入ってこないこの地まで津波が押し寄せたと言うのか?
まさか・・・。にわかには信じられない。
あたりは畑も見え、家屋もぽつぽつと見えてきた。
しかし、畑の中にまるでそこにボソッと置かれたような車が、ここに到達した津波が決して浜辺に打ち寄せる波の類ではないことを物語ってた。

先を見ると所々に瓦礫の塊らしきものが点在している。
ある地点から向こうは、子供が遊び散らかしたような雑然とした様相だ。
色彩は枯れた草の色が、視線を遠くにするにしたがって灰色と変化し、そのまま平野へと続いている。

海辺まではあとどれくらい?3kmくらいあるのではないか。
ここからはまだ両側の山でさえぎられ、市の全景は見えない。
だが、見える部分すべてが累々とした瓦礫ということだけは分かった。


■老人との出会い

視線を手前に戻そう。
今いるこの辺りは家屋が健在である。
畑も先を見れば瓦礫のようなものは見えるが、まだこの辺は冠水なかったようだ。
ただ河川に沿って津波が押し寄せたらしく、両岸は木材系の残骸が所々あるだ。

とそのとき、ある家の前で数人の男性が家の門の辺りでたむろしているのが目に留まった。
前を走っていたトラックが減速しそのまま脇に寄って止まった。
こちらもその後ろに車を止める。

ほどなく山崎さん(仮に“Y”)が降りてきて、その一団に向かって歩いて行く。
まるで引き寄せられようにオラホも車を降りてそちらに向かった。

「おはようございます。実は僕ら盛岡から支援物資を運んできたのですが・・・。」

こういうときの彼の行動は早く躊躇がない。
彼らに積荷を受け入れてくれそうな避難所を聞き出すつもりなのだ。

「こんな所にまで津波が来たんですね。」

「あ〜、んだ、ほれ、そこのマンホールまできたのっす。」

答えた70歳くらいの男性は数メートル先の道路の真ん中にあるマンホールを指差して言った。
他の数人も皆男性で。±10歳といったところか。

「僕ら今朝盛岡を出てきたんですが、この惨状を見て・・・。」

声が喉に詰まって最後はもう聞き取れなかった。
それを見て鼻の奥に力が入り、喉の奥から込み上げてくる物を感じた。
いつのまにか車から降りてきた高野さん(仮に“T”)もそんな表情をしている。
老人は、そんなオラホらの様子を特に気に掛けるでもなく、まるで世間話をするように話した。

「なぁに、俺もこの格好のまま逃げて来て、今ここさお世話になってるのす。」

この人のためにできる事がある、と少しくらいうれしい気持ちになったとしてバチは当たるまい。
誰しも一度くらい、サンタクロースになってみたいものだ。
そこにある積荷からかれが必要とするものを持ってくるだけでいいんだ。

「いや〜、それは受け取るわけにはいかないよ。」

ほがらかに彼は言った。
またしても受け取り拒否か。
なぜ受け取ってもらえない?

「支援物資は被災者みんなのもの。おらだけが受け取るわけにはいかないよ。」

ああ、そうか、そういうことだったのか・・・。
心のもやもやが消え、何か塊がさらさらと溶けていくような気がした。
そして堰を切ったように涙があふれ出した。
どんなに、どんなに力を込めようと、あふれる涙を抑えることができなかった。
どんな状況でも他人を思いやる気持ちを失ってはいけない。
確かにそうだろう。頭では分かっている。
しかし、同じ境遇になったとき、同じ言葉が自分の口から出るだろうか?

人目をはばからず三人は号泣していた。





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