2017/08

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パソコンが入院4週目に突入したノーブル佐々木です。

もうアホかと。
CPU交換に何で3週間以上もかかるのか。
お前んとこが昨日の地震の震源地か?と突っ込みたくなります。
おかげで、ブログの更新がこんなんなっちゃいました。
もっとも、昨日は、その<岩手・宮城内陸地震>でそれどころの話ではありませんでしたが。


■盛岡では

昨日の地震は、開店直前で9時の予約のお客様に備えて準備していたときのタイミングでした。
店内では、FM岩手を流しているのですが、突然放送が途切れたかと思うと、チャランチャラン…とメロディーが流れた後、地震を警告する音声が流れました。
「お?これは本物か?」
と思ったのもつかの間、放送終了とほぼ同時に大きなたて揺れを感じました。
しかも、予震(いわゆる‘P波’って言うやつ)をほとんど感じない一気に本震(いわゆる‘S波’って言うやつ)だったと思います。
「(震源地が)ち、近いぞ!」
思わず口にしてました。

盛岡震度4

終わってみれば、こんなもんかと思いましたが、たて揺れを感じるのはかなり珍しいことです。
だって、震源地が近いと言うことですから。
オラホの記憶では、1998年雫石を震源とする地震以来です。(岩手山南西部地震)
この時は、規模こそM6.1と小さなものでしたが、隣町の雫石が震源と言うこともあって、まるで、いつ掘削機械の上に店を建てたっけ?と思うような細かいたて揺れの地震でした。
擬音で表現するなら「ガガガガ…」と言う感じ。
または、テーブルの上の物が倒れずに移動するような振動、と言えば伝わるでしょうか。
今回の場合は、それほど小刻みではなく、人によっては「横揺れ」と表現する人もいるくらい微妙ではありましたが、オラホ的には確かに「たて揺れ」でした。

当然これくらいの地震では直接の被害など皆無です。
唯一電話が不通となり、もしかして予約が出来なかったお客様もいたかもしれませんが、被災者の状況を思うとアリの鼻クソ程度のものです。(アリに鼻クソがあるとすればだが)

TV報道による被害状況は、時を追って拡大し深刻さを増していきましたが、直後の盛岡は平静そのもので、いつもと変わらない陽気な土曜の朝が淡々と過ぎていくかと思われました。
いつもと違う、と思い始めたのは盛岡東署のヘリポートに離発着するヘリコプターの爆音が、ひっきりなしにあたり一面に響くようになってからです。
うちの店は、盛岡東署の屋上のヘリポートが、すぐそこに見える場所にあるので、なかなか迫力があります。
ああ〜、非常事態なんだ!と言う事を実感した次第です。


■もう一つの被害

折しも、地震のあった昨日は「ちゃぐちゃぐ馬っコ」と重なり、予定通りパレードも行われたようですが、大した盛り上がりもなく、こちらも被災者と言えるかもしれません。
地元では、この日に向けて幼稚園や老人ホームなどを慰問しプロモーションしていたのに、ふっとんでしまいました。
お気の毒な話です。


■余震

余震は、数百回をカウントしてるようですが、100km近く離れているここ盛岡でも1時間に1回くらい身体で感じる地震があります。
しかも、余震とは言え、恐怖心は増すばかり。
数年前の宮城県沖の地震時には、震源地に近いところでは、震度5以上が短期間のうちに連続したという記憶がありますから、揺れた瞬間は、震度などわかりませんから、思わず身体が固まります。


■安否

オラホが管理している組合、非組合系のメーリスには、数十件の美容室が登録していますが、安否確認のメールが直後から回っていました。
返答があるサロンは、概ね大丈夫なようでしたが、奥州市水沢区のメンバーの自宅が大変なことになっているようです。
また、現在も県南地域から音信のないメンバーもあり、いや〜な予感が胸をよぎります。


■神戸からの電話

オラホは、兵庫県は宝塚市で美容師としての人生がスタートしたのですが、この時の先輩にI氏と言う方がおりました。
周知の通り、1995年1月17日に神戸では大震災がありましたが、この時オラホはすでに帰郷して10年以上が経っており、震災には遭遇せずにすみました。

しかし、これに先立ち1993年1月15日-釧路沖地震1993年7月12日-北海道南西沖地震、と北海道を中心に北日本で大きな地震が頻発していた時期があります。
元々、三陸沖は地震の巣窟と呼ばれていたこともあり、この時期は、北東北が地震のメッカの如く認知されていました。
そして、阪神・淡路大震災のおこる約三週間前にも三陸はるか沖地震(1994年12月28日)があり、八戸のパチンコ店で抜けた天井から落ちてきたパチンコ玉の下敷きになり死者が出るなど、大きな被害が起きているのです。
この時は、オラホも脱出経路確保のため、玄関に飛んで行って戸を開けたくらい大きなものでした。
もっとも、オラホの嫁は、家族を置いて一人で逃げたと思ったようですが…。

そして、翌日でしたか、神戸に住む宝塚時代の先輩、I氏から地震見舞いの電話をいただきました。
懐かしさもあり、ありがたくもあり、ただただ嬉しかったですね。
その時I氏は、こちらの状況を心配しながらも「こっちには地震があらへんからねぇ。」と何気なく言っておりましたが、三週間後、同じ電話をオラホから貰う事になろうとは、夢にも思わなかったことでしょう。

そして今回です。
土曜日と言うこともあり、I氏は自宅でTV報道を見ていたのでしょう。
オラホは、仕事でラジオの放送くらいでしか状況が分かりませんでしたが、TVでは、ほとんどすべての局で被災状況をライブで流してましたから、心配して電話してくれたのでした。
何年振りだろう。話するの。
遠い親せき同士が、冠婚葬祭のときにしか会わなくなるのと同じ状況でなんでしょうか。
これからは、メールで時々連絡しあう事を約束して電話を置きましたが、前回同様、三週間後に変なことにならないことを祈るばかりです。



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