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れれ?また靴下が見えないノーブル佐々木です。

先月末に友達が亡くなって、激しく落ち込んでいるここ数日。
何とか気持ちを盛り返さないとな。


■策定委員会

あったみたいですね、策定委員会。
他人事みたいでなんですが、関連する事務があったので今回はパスをした。
気にはなっていたが身は一つだからしようがない。

・岩手日報平成22年11月3日(水)
岩手日報桜山関連101103

以下テキストにしてみた。

平成二十二年11月3日(水曜日)

盛岡市の史跡復元構想

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桜山地区整備案修正へ
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「勘定所」記述見送りも

盛岡市内丸の桜山神社参道地区の史跡復元構想について、市は2日、市内で有識者による史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会(委員長・田中哲雄元東北芸術工科人教授)を開いた。
市側の整備案に委員からは「復元には十分な調査が必要だ」と指摘する意見も。
市は地元の強い反発なども踏まえ、勘定所跡の整備など具体的な記述を見送ることも含め当初計画を修正する考えを明らかにした。


考古学や都市計画などを専門とする委員9人のうち7人が出席。

市は同構想に地元から反対意見が続出していることや「白紙撤回」を求める署名運動が行われていることなどを報告した。

同計画では桜山地区の整備内容(案)として土塁、勘定所跡の整備(ガイダンス等の機能)などと具体的記述が盛り込まれている。

これらの表現について市は「あくまで可能性として挙げた」と説明。

委員からは「史跡の中で復元するには入念に調査した上で案を出すのが当然。その点がまだ不十分だ。具体的に書くのはどうか」との意見が出された。

これに対し、新沼正博市都市整備部長は「今回の表現に地元からかなりの抵抗が出ている。現実的には復元整備までにかなりの時間を要する。具体的に盛り込まずとも『地元との協議を踏まえた整備』などの表現が可能であれば検討したい」と計画の修正に言及した。

また、12月にもパブリックコメントを実施する当初方針について「ある程度の合意形成が図られた時点で行う」(新沼部長)と柔軟な姿勢を強調。

地元側に協議機関への参加を要請していることを明らかにした。

ただ、今回の委員会は盛岡城跡全体の史跡保存や管理、活用に向けた計画に関する有識香会議で、同地区に関する意見は少数。

委員からは反対が多い同地区の整備案を扱うことに「この案をここで決めるのか」といった疑問の声も漏れた。

終了後、田中委員長は「今後どう調整するかは市の課題だ。地元と協調して域を生かし商業地域も活性化する計画ができればいい」と、地元との十分な話し合いを要求した。

新沼部長は「今回の意見を踏まえて計画の書き直しは必要だろう。どういう表現になるかは住民側との協議なども踏まえて検討したい」と述べた。


以上終わり。


どうなんだろう、この記事を見る限りは、反対運動は一定の成果を上げているように見える。
ただ、年度末には何らかの形で終止符を打つつもりなのは、これまでの説明会でも何度か言及しており、この問題を来年度以降に先延ばしする気はないつもりだろう。

そして、新沼氏は「撤回はする」可能性については言及していない。
「最初に『立ち退き』ありき、では同じテーブルにはつけない。」と商店街会長の颯田氏が言う通り、商店街の基本姿勢は、まずは「白紙撤回」だ。
その後の協議次第では、もしかしたら当初の案の通りになる可能性も否定は出来ない。
その辺りは、少なくてもオラホは承知してる。

説明会では「進め方」について「至らないところがあった」という主旨のコメントをしているが、まさにこの点に商店街は反対運動をしている。
また、修正案について言及しているが、いかなるものを出してくるつもりなのか。
もしかして、勘定所内に店舗を移転させる、とか出してくるかも。
そして、指定地域外の店舗はアウト!とか。
こうなると商店街は、残留組と立ち退き組みで分裂するかも。
思う壺ってことか。
ふん、ならないよ。



■どうすればよいのか?

現在の商店街は、公園緑地化するため地目が「緑地」となっている。
現状では、激しくこの規制に反する状況となっているわけだ。
色々な事情があって、この状況が63年も続いてしまった。
この状況下で、現状での存続を願うのは、虫のいい話なのかもしれない。

では、どうすればいいのか?
オラホらは仲間内で、長年この件については議論してきた。
そしていつも立ちふさがるのは、金の問題だ。
この期に及んで、この問題は回避できるものではない。
そこで、それを含みつつ、いくつか案を挙げてみることにする。

1.借地を買い取る。

この間、とある掲示板を見ていたら、オラホらが「ここを買い取ればいいのにぃ」的な書き込みがあった。
お〜、それが可能ならいい案だ。
買い取れるかどうかは、個々の問題にはなるけどね。
ところがどっこい、相手に売る気が微塵もない。
で、この案はこれで却下。
ちなみにオラホのとこは私有地なのだが、立場は借地の住民と何も変わらない事を明記しておこう。

2.商業ビルを作って皆で入居。

10年ほど前は、East21(東大通りで商業ビルに変わったところ)のように、皆で箱物に収まる、という案もあった。
これは、建替え以上の資金が必要となること、史跡指定地に許可が下りないらしい、ということで断念。

そのうち、この町並みが珍しいらしい、と言うことを知ってからは、外観を保持したままの存続を検討するようになった。
しかし、このままでは防災上の問題を残したままになるわけで、どうしたもんかねぇ〜、という空気で現在に至っている。

ここにきて、必ずしも景観に好意的でない市民もいる、と言うことを知るとオラホの自信も揺るぎかけてはいる。
ほとんどヒマラヤシーダの状況と変わらないかも。
なくなったらなくなったで気持ちよくなる、ってわけですね。

あ、何か愚痴っぽいな。
では、話を戻して、どうすればよいのか?

3.住民に条件付で建て替えさせる。

市は、文化庁の補助金をあてにして今回の計画案を作成した。
だから、当然当局の補助金の規定に沿う形でしか案を出せない。
自分たちに金がないのだから、活用できるものは活用する、と言う至って健全な思考だ。

しかし、国の金に頼らなければならないのだろうか?
普通に住民に建て替えさせた方が、税金使わずに済むんじゃないだろうか?
市が外観に規制を設け、一定期間内に改築することを条件として、例えば5年とか、低利の貸付をしてくれたら、5年間で街は生まれ変わる。
これに応じることが出来ない住民は、自分の権利を売るなどして別の道を選択することも出来るようにする。

おお〜完璧!
市と同じように「なんとかしな、あかん!」と言うことを「街が存続する」という前提で考えれば、これくらいしか選択肢はない。
しかも、商業地に変更できなければ、これもアウト。

ん〜、これがオラホの頭の限界点だな。
ということで今日はここまで。





突っ込みフォローして、二重遭難にあったノーブル佐々木です。


動画からのテキスト起こしで、結局昨夜は沈没してしまった。
ブログ毎日更新してる人って心から尊敬する。



■内丸第二町内会&東大通商業振興会、臨時総会


日 時:10月27日(水)午後三時
場 所:桜山神社2階
出席者:51名
【来 賓】
・市議会議員
 高橋司/村田芳三/いせ志穂/千葉長進/庄子春治
 鈴木努/神部伸也 6名
・県会議員
 斉藤信 



市の公式説明会から一週間がたった。
説明会を“ガス抜き”と称した人がいたが、少し分かる気がする。
言いたい事を言った満足感と、それでも何も変わらない閉塞感で思考停止になってしまうんだろうな。
寝不足で頭痛がしてる時なんか、そんな気分になる。
そんなわけで今日の臨時総会は、再び気持ちを前方に向けることができる良いタイミングだと言える。

記録の意味でビデオも回したが、録画ボタンを押し忘れたり、バッテリーが充電不足で交換が途中で入ったり、良い感じではなかった。
ま、今日は市の役人もいないし、署名の回収方法などの説明と思っていたので、重要度は低いと思っていた。
が、これが真逆の結果となった。
悪いニュースだ。



■桜山神社

これまで、過去の説明会で神社の宮司が参列したことはなかった。
疑問に思っていたのは、少数ではない。
“もしかして”という予感はあったが、確かな事は誰も知らない。
それが今日、来賓で宮司と近しい村田芳三市議が明言したことで神社の姿勢が明らかになった。

神社は借地の契約更新はしない

どういう事かと言うと、それはこうだ。
町内には、桜山神社が所有する土地が約3割ある。(下図ピンクの部分)
神社

ここは、神社前の丸安呉服店や居酒屋のちゃんちきを中心とした左右に10軒ほどの幅を持ち、参道の厚生堂薬局、パイカルまでの奥行きを持つほぼ正方形の地域だ。(一部私有地を含む)
契約期間は30年で、後3年(平成25年)で契約更新となる予定だった。
この地域は、厚生市場組合という自治組合の地域と完全に重なる。
厚生市場組合とは、神社から土地を借り受けている住民で構成される組合なのだが、神社とは一般的な賃貸関係以上のものがある。
ここから以降は伝聞なので詳しい年月日などの詳細は知らない、と言う事を断って話を進める。

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※やはり、伝聞は伝聞だった模様。何か話を大きく誤解してたみたいなので、この説明部分はお詫びして削除します。ご迷惑おかけして申し訳ない!
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そうして、今回の契約打ち切りの話である。
とすると、厚生市場組合地域の店舗は、当然立ち退きと言うことになる。
地主は契約更新の時期を知っていたし、今回の問題もあるので「もしや」という予感はあったかもしれない。
2,3年前にこの件に関する新聞報道もあった。
ある程度アンテナを立てていれば、何らかの動きがあると予想することはできたはずだ。

問題は店子だ。
テナントで入っている経営者は、それこそ青天の霹靂だろう。
市の計画(案)が、計画に格上げするより前に着手する格好になる。
最近入居した店なら、開店資金の回収も終わらぬうちに移転を余儀なくされる事態だ。
契約の折に「契約期間中に移転を余儀なくされる事があります。」と契約書に記載があれば話は別だが。

では、なぜ周辺地域に恩のある神社が、市側に与するような行為に出たのか?
実はこれは説明が簡単だ。
神社の実質的な運営団体「櫻山会」のTOPが盛岡市長だからだ。
この団体、オラホの親なんかは「奉賛会」と言ったりもするので、名称からして不確かで、同じ組織を指しているのかさえも良く分からないのだが。
※「奉賛会」が正解、「桜山会」は町内の敬老会の名称で別組織でした。orz
とにかく市長が最終的な決裁権を持つことは確かなようだ。

これは、旗色悪いぞ…。



■盛岡市長

悪いニュース二つ目。
記憶では、13日の桜山神社での説明会の翌日も新聞報道で、谷藤市長が「反対を押し切ってまでやらない」ようなことを言っていた。
しかし、これは単なるリップサービスだったようだ、って話。

先週末、とある冠婚葬祭に商店街会長颯田氏が出席したおり、盛岡市長が同席したらしい。
場所も場所なので深い話はできなかったようだが、会長は市長に探りを入れた。

「これだけ多くの反対がありますが、ほんとにやる気なの?」

とタメついたのかは知らんが

「やるよ。だって、あんたらあそこどうすんの?」

とか言われたらしい。(かなり意訳)
颯田会長は、市長に対し口にした事は押し通す人、というイメージを持っていたそうだが、図らずも確認した形になったわけだ。
なんだ、そうなんかい。



■来賓の助言

来賓には市議・県議と、今まで町内の総会に出てきたことのない面々がそろった。
ただお飾りのように座っていただくのではもったいない。
と言う事で、臨時総会の最後に彼らからの意見をいただいた。
その中で、注目すべき助言は

ただ「反対」だけでは無意味、「どうしたいか」が重要。

ということ。
これは市長の言葉とも共通する。
しかしオラホらがこれを考えてこなかった、などと言う事はない。
ただ、なんの根拠も拠り所もなく、理想を論じても机上の空論でしかない事は分かっていたので、最小限の実現可能な主張をしてるだけなのだ。
それが、「白紙撤回」と「商業地域の指定」なわけだが、彼らはこの先を論じなければ対抗できない、と言ってる。

求婚してる恋がたきに対し、交際を求めるだけではだめ、ってことだな、つまり。
どうするオラホ、どうする商店街。
期限は半年を切ってるぞ。




マグロ王子と呼ばれたいノーブル佐々木です。

桜山神社での説明会は全てアップした。
これにコメ加えて、今回のセンテンスは取りあえず終わりするつもりだったが、思いのほかテキスト起こしが手間どったので、オラコメ(オラホコメント)は抜き。


■桜山神社参道の将来-3-質疑応答Pt4&Pt5

・「桜山神社参道の将来-3-質疑応答」Pt2とPt3に対する回答前半


・「桜山神社参道の将来-3-質疑応答」Pt2とPt3に対する回答後半と意見


あれ?Pt4がHD動画になってない。
なぜに?
ま、いっか、今更アップしなおす気力はないもんな。
取りあえずテキストに起こしてみよう。


<質問4>
市長は「勘定所」には、土産物販売、飲食など対応できる機能を持たせたいと言っているが、既存の公共施設「おでって」や東大通り商店街を利用すれば良いのでは。わざわざ新しい施設を作る必要はないのではないか。


<回答>
商店街には市と神社の所有区分があり、(賃貸契約)更新時期が迫っている。市は(その時期に合わせて?)土地の貸し借りを含めて、将来この街をどうするか?ということを示したのであり、商店街に住む人々の仕事や生活設計を否定するものではない。これをたたき台として意見をいただき議論していきたい。





<質問5>
我々は、200年300年と言う歴史を持つ史跡の上で生活しているという事は十分認識している。しかし、我々の63年の営みも歴史と言えるのではないか?そしてある物(商店街)を壊し新たに(勘定所などを)建設するということは、(史跡保存という意味においては)疑問を感じざる得ない。


<回答>
現在、毎年1000校に及ぶ修学旅行生が盛岡を訪れていて、その方々は、現在建設が進んでいる歴史資料館などを訪れると思うし、この商店街を訪れるだろう。その機能を更に深められないだろうか?ということが考え方の基本となっている。商店街の63年は確かに歴史である。だからこそ共存を図っていく内容になっている。





<質問6>
全国から「あの桜山がなくなるのか?」という問い合わせが届いているが、整備計画案が観光目的とするなら、現在の商店街をなくすことのメリット・デメリットはきちんと算出されているのか?このような席上での口頭による質問では不十分と思われるので、20項目の質問状を出したいのだが回答はもらえるのか


<回答>
観光、非観光の区分けは定かではないが、そう言ったものを高める趣旨で考えたものである。商店街の経済効果については試算はしていない。このプランにおける効果や損失についても計算はしていない。質問状については提出してもらえれば回答する準備はある。12月からパブリック・コメントを実施し、HP上で回答も含め公開するので、できればそこに質問を寄せてもらえればありがたい




<質問7>
3年前の説明会では、駐車場と東屋を作れば観光客がいっぱい来る、と言っていた。そして今年2月の説明会では、共に良い解決策を考えていこう、と言っていたにもかかわらず、悪意に満ちたアンケートを実施し、(都合のいい)一部のみを公表した。(結果として)商店街の言い分は、民意に反した誤解を受ける可能性がでてきた。それで商店街と共存・共栄と言うのはおかしいのではないか。
またここ数年、商店街を訪れ風景をカメラに収める旅行客が本当に増えてきた。ここがそのように全国的にも珍しい場所になったのは、市の規制によるおかげ、と言う側面を持っている。しかもレプリカではなく本物の昭和の風情を残している。それを壊して関係する数百人の収入と生活を断ち、税収までも減じさせてまで史跡保存をするメリットはあるのか?なぜこの時期を選んだのか?背景に黒いものを感じずにはいられない。(編者注:このプランにより利益を得る者の操作、あるいは指示、の存在を疑っている)


<回答>
3年前の説明会においては、整備の将来像を示したに過ぎない。そこまで(実施あるいは着手すると)は、言っていない。ましてやそれにより経済が活性化する、という事も言っていなかったと記憶している。しかし、観点はどうすれば活性化できるか、と言う事はおっしゃる通り。議論いただくところは議論し、理解いただくことは理解して頂くということ。






<質問8>
過去に(市役所の方々と)一緒に(石垣ミュージックフェスティバルなどを)やってきて、このような計画案を出されて裏切られた感が激しい。人を切ってまで勘定所を作る価値はあるのか?センスのない計画であり、このままでは、盛岡がどんどんつまらなくなっていくのは間違いない。これは桜山だけの問題ではない。未来へ続く子供たちのために、皆で手を取り合って考えていく仕組みを作るきっかけにしないといけないと思う。こんなことは絶対させない。


<回答>
決して、裏切った、などと言う事はない。ここは400年、城を中心として出来上がった街である。これからも活性化のため(イベント開催に)勤めていただきたい。勘定所を作る価値、については「勘定所」と言う(一戸の建造物の)事ではない、と考えている。史跡であったことは紛れもない事実。文化庁にも言われたが、史跡は盛岡市民だけのものじゃなく国の宝であり、国の宝として守るべきものは守る。ただ、桜山地区は(史跡の)第4種の格付け地域であり自由度が効く。その中で地元の魅力をアップさせる仕掛けはできるのではないか、というのが今回の提案につながっている。






<質問9>
私が子供のころにはまだ土塁があり、そこを借りて茶屋を開いていた。昭和33年ごろ、鐘突き堂のある一部を除いて、土塁を崩して壊したのは市である。それをやっといて、復元だ、と(今更)言うのなら、当時の市政はなんだったのか?それを反省した上で行おうとしているのか?そして費用対効果をどうみているのか?壊したものを新規に作り直しても(史跡保存と言う意味で)なんの意味もないのではないか?


<回答>
良い質問だ。昭和34年、ここで現在と同じような話(計画?)をしている。土塁を壊したという事はあるかもしれないが、皆さんが戦後ここに張り付いた時に(編者注:この発言は19日の説明会で陳謝している)街並みも風紀も環境も、かなり乱れそれを改善するために(史跡保存を脇において)ある程度の区画整理をし、住んでもらう約束をした。そして、参道としてふさわしい外観を保ち、奇抜な色や外観は慎んでほしい、という約束もした。更に、後に公園とする時は協力しする、という約束もした。それは個々人というのではなく当時の厚生組合(編者注:町内の神社の土地を借り受けている人々により構成された自治組合)との事だったが、すでに60年を超えようとしている現在、今後どうするかと言う事を話し合っている(という経緯がある)。






<質問10>
史跡整備に充てる予算を、修繕費として希望者に回すことができないのか?また本丸の復元は困難であるというが、勘定所“風”が可能なら本丸“風”があっても良いのではないか?


<回答>
本丸“風”の建物についてはできない。土塁の費用を参道の意匠デザインに充てる件については、(そういう目的では)文化庁からの補助金が出ないのでやはりできないが、別の財源を使い出来るかもしれない。事業仕訳により廃止になってしまったが、統一した景観を整備するための支援を国から得られる可能性はある。







<質問11>
共存・併存の道を探る、と言っているが、市側の言う「和風感のあるイメージ」というものにそぐわなければ、共存・併存はできない、としか聞こえないのだがその辺の見解は?


<回答>
どうせ作るのならば、統一感のある街並みが良い、と考える。昭和34年当時のルールのように、けばけばしい色彩ではなく城周辺にふさわしい色合いデザイン、という内容のようなルールが良いと考える。そぐわなければならない、というものではなく緩いルールになると思っている。





<質問12>
現在この地域は、古くからある既存店と新たに参画してきた若い世代とがうまくいった形で活性化しつつあるのではないかと思う。そういうものを利用して作っていくというのが、歴史を生かした本当の街づくりなのではないか?なぜそのように考えられないのか?史跡の保存というのも、ある程度残存しているというのなら理解できるが、ほとんど失われたものを復元したとして史跡と言えるのか?


<回答>
まず市側の説明のまずさを反省しなければならないが、城を中心とした街づくり計画と言うのを漠然とながら説明してきたし、意見も頂いてきた。そして今回、進め方も一緒にたたき台として提案した。計画については各方面にも図り煮詰めていきたい。進め方については緒に就いたばかり、という認識をしている。それについて説明不足の点、進め方の点について至らないところの意見をいただきたい。





明日から1週間が始まるというのに、休みに夜更かしするノーブル佐々木です。


やっと神社での説明会の動画編集が終わった。
しかし、苦労の割にはこう言う類の動画にHDは、あまり意味がないよなぁ。
観る方だって、なかなか落ちてこなくてうんざりだろう。
だが19日の説明会からもうすぐ1週間。
人の噂が75日なら、残りの賞味期限は69日。
時々かき回して腐らないようにしないと。<いや、ヌカ味噌じゃないし…



■桜山神社参道の将来-3-質疑応答Pt2&3


桜山神社参道の将来-3-質疑応答Pt2



桜山神社参道の将来-3-質疑応答Pt3


今回は、上2つとも質問パートのみ、と言う事で特に解説はなし。
言っておくけど、眠いからじゃない。
断じて、眠いからじゃない。
繰り返すが、眠いからじゃない。
上のまぶたと下のまぶたがくっつきそうで、ものも考えられないし、タイプミスばかりするからだ。<普通これを「寝い」と言う。

ま〜、そゆことで。





あれ?靴下が見えないノーブル佐々木です。


動画編集が追いつかないぞ、どうする?
まてまて、アクセス解析見てもそんなに観てる人なんておらんやん。
そやそや、じっくりやってこ。

以上、心の声抜粋。


■質疑・応答

19日の説明会が終わって2日目だけど、13日の動画編集が半分くらい終わったところ。
全部終わるころには、事が終わってるかもしれない。
う、また気分盛り下がりそう…。




よし、戻った。
ということで今回は、質疑応答のパート1だ。

◇質疑応答のパート1


質問・意見は3つ、市はこれにまとめて回答している。
どうしよう、1個ずつ取り上げるか・・・。
後のことを思うと、気が遠くなる思いだが、いけるとこまでは行ってみよう。

<質問1>
勘定所の歴史には、明るい部分だけでなく暗く重たい部分もある、これらの事をふまえて、勘定所を整備する覚悟はあるのか?(こんな感じ)


<回答>
復元をするというわけではない。“案”であり決定したわけでないので、今後とも検討を重ねていく。


質問2
整備のa-目的、b-時期、c-原資は?
d-史跡レベルの高いほうから始めた方がよいのでは?


回答
a
史跡、生活の場、特殊な商業地域という三者の違った面を共存させ、地域の人々が法律的建築制限の中でどうやって、修改築が出来るようにするかを考慮した。
b
時期については来年再来年に基本計画・設計がなされ、総合計画として予算が組み込まれ、具体的な整備事業に取り掛かる、というプロセスを踏むが、その間にはある程度の時間がかかる(氏の言葉では「ある程度の“間”がある」)。
c
原資は文化庁の補助金と市の総合計画予算枠から。
d
復元ができるに足りる資料がない。


質問3
地元と(史跡)の共存と言う事でこの計画が作られたというが、なぜ「立退き」ありきで立案されたのか?
去年から市と一枚岩で市街地を盛り上げようと努力してきたのではなかったか?


<回答>
一見、立退きと共存は相反するものかもいれないが、ここが居住と商業機能の場であることは評価している。
一方で史跡、都市公園の場でもあることも打ち消すことはできない。
市は、将来に不安を持ってここに生活する方々へ、何らかの回答しなければならない。
決して早急に立退きという事態にはならない、という事を理解してほしい。



■都市整備部部長 新沼氏

あらためて動画で彼を見ていると、柔和で冷静でおごらず、説得力のある話ぶりに感心してしまう。
声のトーンも変わることなく、噛むこともほとんどない。
台本がどこかにあるのではないか、と家宅捜査したくなるほどだ。
オラホらは、そんな彼をリーダーとするみどり課を相手に、自らの主張を訴え続けるしかない。
悲壮感漂うな〜。

ぶるるるる、おっといけねぇや、弱音吐いちまったい。
彼らは行政の王道を胸張って歩いているつもりかもしれないが、その道は庶民の歩く道路じゃないぞ。
庶民をなめるなよ!<なんのこっちゃ


■涙の訴え

それにしてもオラホのみっともないこと… orz ヘコム〜
「涙の訴え」とTVは報道した。
で、ハイビジョン、薄型の大型テレビいっぱいに映ったのは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、しまりのない唇をわなわな震わせたオラホのドアップ。
ちきしょう!
今度こそ痩せてやる!(そ、そっち?)

ま、自分で自分を撮らなかったことがせめてもの慰め。
言ってることも支離滅裂で、もう穴があったら入れてみたい。<こら!
もっとも泣きながら冷静に話す奴なんて見たことないが。
良い機会だから、何を言いたかったのかこの際書き込んでおこう。



実はと〜ても不思議に思っていたことがあった。
前年(2009)の春から今年にかけて、市の商工課と「桜山オープンカフェ」とか「雪見カフェ」を二人三脚で開催してきた。
きっかけは、市の商工課からの呼びかけ。

最初からノリノリだったかと言うと、ん〜…、どうでしょう?(長嶋風)
と言う感じだった。
今までになかったことでもあり、正直困惑した。
それもそうだろう、東大通り商店街は、100店ほどの飲食店が主体の小規模店舗街。
一人営業か家族経営の店も多い。
なので勿論、専業の事務方もいなければ事務所なんぞあるわけがない。
役員は皆本業との掛け持ちで何とか運営している状態なのだ。
やりきる自信なんてない。
困惑して当然というものだろう。

はたしてどこまでやれるのか、と役員の額に書いてあったくらいだ。(嘘はやめろ!)
しかしここで商工課が奮闘してくれた。
まるで専業の事務局長のごとき働きっぷりを見せてくれた。
しかも楽しそうだぞ、こいつらぁ。

後にこれが「市街地活性化計画」の一環だと知ったが、それがなんだ。
こんなに楽しそうに仕事してるやつらを見て、楽しくならない奴なんていない。
お役所も楽しい事するんだ。
そうオラホは思った。(非常に単純なお脳の持ち主と言いたい奴は言うがいい)
わずか一年半だが、市と商店街とは固い絆を育んできたのだ。
付け加えればそんな連携の中で、間接的だが「公園みどり課」との接点もあった。

その一方で、桜山神社参道地区の将来に関する説明会も進行していた。
こちらはみどり課が主体だが、オラホらにとっては盛岡市の側面に過ぎない。
頭はひとつなのだから、考えることは同じはず。
だから10月に出された計画案が、「商店街立退き」「勘定所風&土塁らしきものの整備」だなんて、あの商工課の親組織である市役所の案だなんてとても信じることができなかった。

そう、不思議だったこと。
どうして固い絆で結ばれたはずの彼らの脳裏に商店街の“存続”でなく“立退き”が浮かんだのか。
普通の人間の発想なら、浮かぶはずがないじゃないか。
そしてマイクを持ったあのとき、そんな思いがこみ上げて来て

「裏切られた気持ち」

と思わず口から出てしまったのだ。
“縦割り行政”と言われる意味が今なら身に染みてよくわかる。
しかし、わかったから、と言ってどうにかなるものでもない。
だから、みどり課にしたって、裏切りもの扱いしたってポカ〜ンだろう。
いや、そうでもないか。
どっかの引き出しにしまって鍵かけてる、くらいの意識はあるかも。
その根拠について述べてみよう。



■みどり課の過ち

みどり課の過ちは明白だ。
新沼氏はそれを

「説明不足」

という表現で煙に巻いている。
市は、説明会と称する会を4回ぐらい開いている。
そしてその度に

「地域住民の皆さんと協議して…」

と言い続けてきた。
しかし、質疑は受け付けてきたが、協議は一度も行われなかった。

「では、それを盛り込みましょう。」

なんて一度も言っていない。
いや、

「そう言ったことも踏まえて計画案を…」

くらいは言ってたな。
そして、そのまま全体会議に計画案を提出し了承され、それは当然そこに居合わせたマスコミの知ることとなり、世間一般に報道された。
一般に流されてしまうと、それはもうオラホらにとっては決定されたも同然だ。
市の、みどり課の過ちとは、公表前に商店街と協議を持たなかったこと、その一点に尽きる。


■「案」だったら良いのか?

「『案』ですから、決まったわけではありません。」

新沼氏は、何度このフレーズを口にしたか。
曲をつけたら間違いなくサビのパートだ。
しかし、それがたとえ「案」だとしても、その影響は測りしえない。
思いつくままそれを箇条書きにしてみよう。


この商店街に出店した若い経営者たちの機運が下がり、今後開催が予定されているイベントの協力体制が崩れ、遂には途絶える。


商店街の将来を見限ってこの商店街を出ていく経営者が現れ、後に入る店舗もなく空き店舗が目立つようになる。


店子がいなくなり家主の収入源が途絶え、売却を考えるようになるが、買い手がつかないため、市に二足三文で売るしかなくなる。


上記の経過により、店舗が激減した商店街には、人影もまばらにになり私有地で営業を続けている経営者も次第に困窮してくる。


ある程度の修改築は認められても、将来取り壊しが決まっている建物に誰も着手しようとはせず、建物が更に荒れていく。


あ〜ら、何と明るい未来予想図。
おじさん、またここで泣きそうよ。
さて、これが杞憂で終わると新沼氏は言いきれるだろうか?
「案」がなくなって実質計画に格上げされれば、もう後は市がほっといてもこの商店街は消滅するだろう。
今までのように、市役所と地元商店街の人だけが知っている内緒話じゃない。
計画だけ作ってまたこの先60年ほっておく事なんかできないだろう。

“白紙撤回”

これだけが、いまこの商店街が生き残る道であることが、お分かりいただけただろうか。