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唇の下がすぐアゴ、と言われるノーブル佐々木です。

さて、続きだ、続き。
急がなければ・・・。


■都市整備部公園みどり課の考えていること・・・続き


第2回目

報告

(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。

2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。

3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。

4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある




協議

(主な意見)

1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。

2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように

3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。

4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。

5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか

6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。



転載はここまで。


まず、報告の4「保存管理計画の中で整理していく必要がある」
保存管理計画とは何なん?
盛岡市のHP内で検索かけると次の文書がでてきた。

盛岡城跡保存管理計画策定設置要領/日付:2010/04/12-21:27:27 →PDF

この盛岡城跡保存管理計画策定委員会、3回開かれたらしく、最後に開かれたのが今年の6月のことらしい。
国史跡盛岡城跡の保存管理計画の助言を求めるための委員会、とのことだが、残念ながら会議資料は見つけられなかった。

しかしただ助言を求めるための機関って実効能力があるのだろうか。
各方面からの意見を取り入れました、という単なる手続きに過ぎないんじゃないだろうか?
疑えばきりがない。
人間不信になっていくようだ。

その他にも色の変えてある部分に突っ込みを入れたいのだが、どんどんオラホの趣旨とは離れていくようなので、この際まとめてしまおう。
一言でいえば、
まともだ。
はっきり言えば、特に反対するような箇所はない。

逆にこの「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」の策定案のどこから、勘定所風建物や土塁のようなものを作る必然性が出てくるのか理解に苦しむ。
現存する商店街を一掃しようという主旨の提言すらもない。
もっともな事、あたりまえな事しか述べていない。

そうなると、今回の策定案は委員会が震源地と言うのは、オラホの勘違いで、この策定案は
都市整備部公園みどり課こそが震源地
と、言いきってよさそうだ。
では、彼らはどういう動機で今回の策定案を作ったのか。
ヒントになるかどうか分からないが、説明会で整備部部長は印象に残る言葉を言った。


「史跡は、みなさんだけのものじゃありません。国の宝なんです。護るべきものは物は護り、保存すべきものは保存する。」


氏はこれを「文化庁から言われたことですが」と前置きして発言した。
土塁を崩し、お堀をつぶす道路を通したお役人とは思えないお言葉だ。
いや、こんな言い方はすべきではない。
なぜなら、ここの住人には必要なことだったし、市の交通の利便性を高めるにも必要なことだったからだ。

だから、もしそれが国の宝を損ねた罪だと言うなら、望んだ者から実行した者まで全てが罪人だと言える。
なぜここに来て、手のひらを返したように「自分は潔白です!正義なんです!」みたいなことを言えるのだろうか。
もっとも

「文化庁に言われていやいややってます。」

とは言えないだろうなぁ。
ガキの使いじゃあるまいし。
にしても、この発言はどこからか圧力なり指示があったことを疑わせるものではあった。
果たしそれが、言葉通り文化庁なのか、それとは別のものなのかは、現時点では推測の域を出ない。




■10.19説明会

にぎにぎしく、しかも長ったらしく前説をやってしまった。
これから本題の説明会実況〜と行きたいところだが、そうはいかない。
m)゚O゚'(m ナンデスト
市の公式説明会があるのだ。
詳細はこれ。

<<<市のHPからコピペ>>>>

開催日時
2010年10月19日(火曜日)
○15時00分〜(昼の部)
○19時00分〜(夜の部)
※ご都合のよい時間帯にご出席ください。

開催場所
盛岡市役所本庁舎8階 806・807会議室
※夜の部につきましては北側出入り口をご利用ください。(市役所正面向かって左側となります。)

掲載ページ→ココ

資料→ココ

Σ(゚◇゚;)!!ガーン
スキャンなんかしなくてもここに綺麗でサイズの小さい資料があった。

ん?
それが何って?
ワラワにどんな関係があるの?って?
来てくださいよぉ。
あ、ちゃうか。
ど〜ぞお越しくださいましぃ。
外部の方OKだそうですよ。

いや、何ね、地元の人間の言うことなんて、結局は立ち退きたくないだけなんでしょ、って思ってますでしょ?
それは確かにその通りなんですけど、オラホも含めた町内の皆、盛岡市民になんとか必要とされるような存在になろうと努力してきたんです、これでも。
それが自分たちが生き残る道だと信じてね。

じゃないと、ここがなくなっちゃうんです。
パイロンのジャジャ麺や昔ながらの吉田屋のラーメン、ぽっちゃりしたシルクロードのおかみさん、三平食堂のおかみさんのでかい声、身体を横にしないと通り抜けられない路地、愛想のない芳本の親父、白髪頭の丸安さん、皆いなくなっちゃう。

だから此処に少しでも愛着を感じている方、無くなってほしくない方、お金を貸してる方でも良いかこの際、の協力をいただきたいのです。
よろしくお願いします。


ちなみに、説明会の動画を準備中です。
あんまり長くて編集大変だけど、できるだけ急いであげたいと思います。
こちらもよろしく。




霜降り肉を持つノーブル佐々木です。

無駄に長くなる文章を疎ましく思っている諸氏。

慣れなさい。 〜( ̄0 ̄)〜はぁ〜これだもん・・・



■都市整備部公園みどり課の考えていること

盛岡市のHPを見ると、この界隈についてどういう議論が交わされていたのか、かすかだがその経緯をたどることが出来る。
「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」と称す委員会がそれだ。→第1回目リンク第2回目リンク

どうやらこのわずか2回、委員会で話し合われたことが今回の策定案の震源地のようだ。
策定委員が何処の馬の骨かは分らない。
分らないから「馬の骨」呼ばわりもしてしまう。(ごめんね)
聞いた話によると、この策定委員なるもの、市が自由に選ぶことが出来るらしい。
しかも、メンバー交代も自在という。

伝聞なので定かではないが、これが本当なら市の意向に沿った人選が自在に出来ることになる。
こんなことがまかり通っているのだろうか?
突っ込みどころ満載だろうが・・・。
とても賢いホワイトカラーがすることとは思えない。

で、それは横に置いておくとして、そこで何が話し合われたのか、というとおおよそ次のような事らしい。
ちなみに報告と協議とあるが、1回目について報告は割愛する。
たいしたこと載ってないし。

第1回目

協議

1.史跡盛岡城の中だけではなく,周辺の景観等についてのありかたも含めた形で計画作りをする必要がある。

2.史跡の活用については,「まちづくり」という観点も併せ持つ形で検討する必要がある。

3.観光という面だけを重視した内容で検討する事の無いようにしてもらいたい。


※番号は便宜的にオラホが付けた。

ここでは、3がキモということか。
というか、地元住民は考慮の対象外なんだね、ふ〜ん。
そういう匂いは感じていたが、そのままだった訳だ。
では2回目を見るとしよう。

第2回目

報告

(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。

2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。

3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。

4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。


協議

(主な意見)

1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。

2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。

3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。

4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。

5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。

6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。




あらら・・・、編集途中で間違って公開ボタン押しちゃったよぉ。
しようがないなぁ。
続きは、次に。





泣きが入れば止まらないノーブル佐々木です。

昭和12年から73年の時を経て、今月(平成22年10月)盛岡市は「桜山神社参道の将来像について」と題した策定案を発表した。
昨日(10月13日)の内丸第二町内会が主催した説明会は、予想を上回る町内外100名ほどが参加する規模となり、同時に県内在住すべての放送局が取材に来るという注目の場にもなった。
これをネタにしないわけにはイカの○玉。

ということですよ。


■事の経緯

その時配布された資料がこれ→ココ

13ページの資料であるが、紙質が悪いのでスキャンニングでは、プツプツが目立つ。
しかも内容的にアバタに見てもエクボには見えない。
アバタをいちいち説明するのは、メンタル的に負荷が大きいので詳細は資料を参照されたい。
しかし、それではオラホの好感度が下がるので簡単に経緯を説明しよう。
結構人のうわさを気にするタイプ炸裂っ。

【桜山神社界隈のここまでの経緯】

1.昭和12年(1937年)
国がこの界隈を史跡指定する。

2.終戦後
大陸からの引揚者が神社境内にバラックなどを建てて住み始める。これがこの町内の始まり。

3.昭和29年(1954年)
「中の橋・大通り線」の整備に伴い仮移設が始まる。
この通りは、今の東北銀行本店からサンビルまでの通り、つまり「東大通り」のこと。

4.昭和31年(1956年)都市計画が決まる。
この時にこの界隈は将来は緑地(すなわち公園緑地)となることが決まった。
これの意味するところは、地目(土地の主たる用途による区分。不動産登記法では次の二一種類が定められている。)が「緑地」となり、建物の建設はNGになるということ。
簡単にいえば、「現状は仕方ないけど、取り壊したらもう建てちゃだめだよ。」ってこと。
別な見方では、「どいて、て言ったらどいてね!」ってことでもある。


ここまでは資料から、ここからはオラホの伝聞と記憶によるものになる。


5.昭和34年区画整理
ほぼ現在の状態。
この間の説明会で元住民の方の証言によると、この時にお堀周辺の土塁が撤去されたらしい。
町民、取りあえず安堵のため息。

6.昭和44年(45年?)
岩手国体を控え、市街地の景観を改善するという名目で桜山神社からサンビルまでの桟橋(現在は歩道となっている)の店舗が撤去される。
町民、次はオラホか!と震えあがる。

7.平成9年(1997年)
桜山界隈を将来駐車場にする計画が決定(したらしい)。
町民、恐怖に怯えつつも過去30年具体的な市の動きがなかったため静観

8.平成20年(2008年)4月2日
時節に合わないということで市は上の計画を破棄。
これをマスコミが大々的に報道
町民、いよいよこの地が安住の地となるのか!と舞い上がる。

9.同年(10月だっけ?)←春だった?
市は、報道に動揺し急きょ説明会を開催。
「皆さんと協議して・・・」とか言いつつ、1年間の調査期間を経て何らかの策定案を出すことを明言する。
町民、多少を不安を抱えつつも、期待感が勝りこの言葉を信じることにする。

10.平成22年(2010年)10月1日
「桜山神社参道も将来像ついて」と題した策定案を発表。(というかマスコミが大々的に報道)
勘定所“”建物とお堀の土塁を何となく再現する、という案と引き換えに、現状を改善する改修工事を制限付きで認可する、というありがたい御沙汰をお示しになる。
町民、期待を裏切られた計画案に度肝を抜かれる。

11.平成22年(2010年)10月13日
内丸第2町内会主催で市の職員を招いて説明会を開く。
町民、想いのたけをぶつける。

今、丁度ここ。



■青天の霹靂

町内会長の川村氏は、説明会終わりの言葉として市の策定案を「青天の霹靂」と形容した。
この言葉は、市の唐突な発表、という意味合いで報道されたが、それは違う。
先に示したように、策定案の発表自体は事前に決まっていたものだからだ。
では、氏は何をもって「青天の霹靂」と表したのか。

それは、事前の協議も連絡もなく一方的に策定案が示されたことを指している。
来るのは知っていたが、まさか寝ている間に耳に水を入れられるなんて。聞いてないよぉ〜。
と、ダチョウ倶楽部なら突っ込んでるところだ、というわけだ。

しかも、この1年半、市と町内は(と言うより市街地全体は)良い関係を築いてきた。
「盛岡市中心市街地活性化基本計画」(→ココ)という名のもとに、これまでにない支援を市から受けてきていたのだ。

これまでの盛岡は、盛南開発という旗印に、市の外辺地域を開発してきた。
これは、市街地の利便性を郊外域にまで拡大する、という効果をここ20年間で実現した。
それは実際、郊外に寝床を構えるオラホも実感してきた。
しかし、それは同時に市街地の経済的地盤沈下を起こす諸刃の剣でもあった。

全国に目を向ければ、シャッター街が問題視されている地域はいくらでもある。
実感はないが、盛岡はまだよい方とされているらしい。
それでも時間の問題なのは明らか。
国がそう言った自治体に補助金を出すという方策を打ち出したのは、一昨年のこと。
開発の遅れていた(つまり市街地がシャッター街になる前に)盛岡市がこれに取り組むことになったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。

そしてもう一つ幸運だったのは、この桜山神社界隈が昭和の風情を色濃く残すことになったのも、先に述べた緑地指定による建築・改築規制によるものだったこともある。


■昭和の風情

昭和の風情なるものの定義は定かでないが、安普請(やすぶしん)の雑然とした生活感が丸出しの趣、とオラホは定義しよう。
これは、この町内そのものの形容句だと言える。
20年前、いや10年前まで、これは町内の改善すべき問題であり、覆い隠さねばならない恥部だった。
中央通り側にある、今や巨木となったヒマヤラやシーダは、県庁からこの町内を見えないようにするために植樹した、と噂されるほど景観を害していると言われた時代が長く続いた。(真偽は不明)

それがいつからか、カメラを持った人々が時折出没するようになったころから様相が変わる。
彼らまたは彼女らは、自然美の漂う池の端や歴史を感じさせる釣り鐘堂を撮影するのか、と思いきや2mもない、バケツやボイラー、ガスボンベが置かれている薄暗い路地裏を撮影しているではないか。
ある時など、さんさ踊りの雑踏で外国人が、そんな路地裏にカメラを向けているのを見かけたときがあった。
よほど奇異の面持ちで見ていたのだろう。
オラホに気付いたその白人男性は、こともあろうにウィンクを飛ばしやがった。

「畜生、碧眼パツキンはウィンクが似合うぜ!」

と不覚にも惚れてしまいそうになってしまったじゃないか。
10年20年は流行遅れと揶揄されるが、50年以上も経つと「レトロ」と称されることに気付いた瞬間だったかもしれない。
気がつくと、全国に昭和風情を謳い文句にした店や街並みがいろいろなメディアで紹介されている。
ある日学校に、父親のラッパのジーンズを履いてったら人気者になっちゃったぁ〜、みたいな感じなのかも。(それはナイナイ)




くぅ〜、1日でまとめられなかったか。
全体の半分も行ってないかも。
よし、明日も打ち込むぞ、ということで、続く。





顔まで布団をかぶって寝ていたら、「ソーセージ・パンの先っちょみたい。」
と嫁に言われたノーブル佐々木です。


悪気はなくても、心に突き刺さる嫁の一言。
25年という時の重みが、言葉の先端、すなわち剣先に収斂したような、熟練の技を感じる一言。

もう、ずたずた・・・


■忘年会が終わった

前夜、大沢温泉の自炊部で忘年会し、翌日の午前中は、同じ面子で会議。
お昼を過ぎる頃には、それも終わり、軽い疲労と開放感の中、それぞれが家路につく。
そのまま帰るもの、何処かに寄って行くもの、お祭り後のいつもの風景。

会長の高橋氏が旅館の会計を終えて部屋に帰ってくると、小原女史とオラホの3人がこうして残っていた。
このまま帰るのも名残惜しい雰囲気も手伝って、3人で昼食をすることになり、旅館の食堂でざるそばを食べた。
月曜日の昼下がり、まだそれほど客のいない旅館の食堂で、まったりとした時間が過ぎていく。


■写真

旅館を出る時、荷物の多い高橋氏が少しもたついていた。
先に靴を履いたオラホは、その間、玄関周辺を何気なく見渡していた時、下駄箱の上に飾られている一枚の写真に目がとまった。
この旅館の露天風呂だ。
そこに数人の半被(はっぴ)を着た中年の女性が風呂に腰まで浸かって、湯船に浮いている大木を取り囲んでいる。
なんかの儀式のようだ。

なんだろう?と思い近寄って、よ〜く見ると、大木のこちらに向いている先端が丸みを帯びている。
見たことがある形だ。

おおお〜、オラホも持ってるあれだ、男根だ。
よく子宝祈願とかで、テレビでもよく見かけるやつ。
ここの場合は、魔除けとしてやるらしいが、なんで男根?とか思いながら見ていた。
たぶん、にやけてたと思う。
おっさんらしい図だ。

そうこうしている内に、高橋氏も準備ができ、玄関口に揃ったところで、外に出た。
「ありがとうございました〜。」と、後ろから声がする。


■呼び戻したもの

これをネタにしない手はない、と思い、今見た写真を2人に話すと小原女史が言った。

「あ〜、あれね。そう言えば、あの形をしたキャンディーをここの売店で売ってるのよ。」

「ぬぁに!?」

やっちまったなぁ〜、とは言わなかったが、喰いついたのは、勿論オラホだ。

「おおおお〜、それは買わないわけにはいかない。」

そう言うとオラホは、すぐさま踵を返して旅館に向かった。

「あ、売店のレジのすぐ横にあるからね。」

女史のフォローは、いつも的確でナイスタイミングだ。
玄関口の引き戸を開けると、客と思ったスタッフ〜が、いらっしゃいませ〜と声を揃える。
ちょっと恥ずかしいぞ。

「え?いえ、ちょっと、買い物を忘れて…」

などと、墓穴を掘るような真似はオラホの自尊心が許さない。

「は?それは、どのようなものですか?」

とか、聞き返されたら何と答える、オラホ。
ここは、無視するが最良の策と見た。
オラホは、玄関口のすぐ真ん前にある売店の引き戸を開け、中に入ると、すぐ横にあるレジ周辺を見渡した。
しかし、レジ回りには、所狭しと商品が並べられており、お目当ての物が見当たらない。

く〜、今は外に人を待たせていることもあり、時間を喰うわけにはいかない。
ここは、レジのおばさんに聞くしか手はないようだ。

「す、すみません。ここにすんごい飴がある、って聞いたんですけど…」

一瞬、あの感覚が蘇った気がした。
本屋で初めてエロ本買った時の感覚だ。
客がいなくなるタイミングを見計らって、普通の本の下にエロ本忍ばせ、レジに持っていたあの時。
あ〜、オラホにもそんな‘ゆず’のような青々しく、酸っぱい時代があった。
いや、‘かぼす’だったか?
そんな思春期の思い出に浸る間もなく、おばさんは指さして言った。

「そこにございます。」

「即答かよ!」

オラホの心の叫びは誰にも聞こえることはなかった。


■導かれた者

オラホは、おばさんの指さす方へ導かれるように視線を移動する。
ん?どこだ?一瞬迷ったが、それは確かにそこにあった。
‘魔除飴’とある。
白い根幹にダークブラウンの先端のそれが、まるで松林に群生する松茸のように整然と立ち並んでいる。

お、よく見るとサイズが3種類ある。
いわゆるスリーサイズというやつか。
Sが380円、Mが580円、Lが1080円。
どーする自分。

Sでは、卑屈と思われるだろうか?
Lでは、身の程知らず、と思われるかもしれない。
よし、ここはMとすることにしよう。
まてよ、それではあまりに月並み、平凡なやつと見られるかもしれない。
人は、その人生において、様々な場面で選択を迫られるが、時としてその後の人生に深く関わる重大な選択があると言うが、はたして、これがそれか?
それなのか?


■SとM

何秒経ったろう。
オラホの手の中には、SとMの2本があった。
そそくさと会計を済まし、2度目の「ありがとうございました」に見送られ旅館を出て、先をゆっくり歩いていた2人に追いついた。

「Mは嫁に、Sは娘に買っちゃった。」

とか、意味不明な言い訳をするオラホ。
いちいち言い訳がましい自分が少しイタイ。
それから歩きながら少し話をして、駐車場に着くと互いに車に乗り込み、2人とはそこで別れ、それぞれ家路についた。

帰りの車の中でオラホは、先ほど買った土産物のことを思っていた。
はたして、あのキャンディー、食すことがあるのだろうか?
あるとすれば、それは先端からか?
意表をついて裏筋から行くか?
卑猥だ。
卑猥すぎる図だ。

妄想は、澄んだ初冬の紺碧の空のように果てしなく、尽きることはなかった。


大沢温泉魔除飴3

袋に入っている‘魔除飴’

大沢温泉魔除飴2

SとM,2本並べた‘魔除飴’

大沢温泉魔除飴5

‘魔除飴’近影


ヨメに実効支配されているノーブル佐々木です。

また「竹島」が論議の的になってます。
今回は、文科省が中学の教科書に「我が国の固有の領土」と明記する方針を韓国政府に通達したことによるものらしいですが、デモしたり、卵投げ込んたり、国旗燃やしたり、韓国の知事はドタキャン帰国したり、期待通りの韓国の行動は、すがすがしいくらい。
こう言った、過剰な反応を「韓国する」と是非、広辞苑に載せてほしい。


■弱腰なのか作戦なのか…

元々、論議の的なのに、何を今更と思わずにいられない話。
韓国では、幼稚園から「独島は我が領土」とか歌わせて、散々刷り込みしてるのに、たかだか中学校の教科書に記載するくらいで騒いで、日本政府が大人しく引き下がると思っているあたりが稚拙な精神構造。

NHKの報道


とか、思っていたら、日本政府…
「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違がある」
って変更するそうです。

学習指導要領に「竹島を固有の領土」の明記を避ける


あらら…、不甲斐ないぞ、日本政府。
それとも、そこまで読んで、相手の力を利用して投げる、風大左衛門の「波返し反動投げ」(解説省略)のつもりか?
だとしても、投げきれてないぞ。



■国際司法裁判に出てこない韓国

竹島を実効支配しているのは、韓国なわけですが、領有は、当然日本も主張するところ。
ですから、日本から見ると、この実効支配は、不法占拠ということになります。
これは、韓国の初代大統領・李承晩が1952年から武力による占有したことから始まりますが、その2年後の1954年から、日本政府は、国際司法裁判での解決を韓国に申し入れています。→ウィキ

日本政府は、当然、この国際司法裁判での判決を遵守するだろうし、韓国にしてみても、国際法廷でのお墨付きが得られれば、胸を張って罵倒するなり(?)、唾を吐くなり(?)出来るはずなのに応じようとしません。
なぜ韓国は、出てこないのか?
日韓翻訳掲示板enjoyKorea(エンジョイ・コリア/通称「エンコリ」→サイト 注:‘独島’で検索)というサイトでは、この話題は、何百回となく議論されてるのですが、その中で韓国人が日本人から同様の質問をされると必ず出てくる模範回答があります。

「自分のものを、なぜ自分のものであると証明しないといけないのか?」
「家に入ってきた泥棒と、なぜ裁判所で争わないといけないのか?」


ボク笑っちゃいます。(BY 風見信吾)
相手は、一般の韓国人ですから取り上げるまでもない、とお思いでしょうが、彼らは、先達に教えられたとおりに発言しているだけなんだと思います。
みんな同じですから。
しっかし、そんな考え方もあるんですかね〜。
裁判で証明するほうが、難癖つけられなくて良い様な気がするんですが。
結局、日本側から見ると「負けるから出てこない」ようにしか見ないんですけど。



■騒ぐだけ騒げば日本に有利?

この竹島問題を韓国国内では、先に書いた国民への刷り込みで、国際問題にせず、既定事実にして領有化しようとしている、と言われています。
早い話が、こっそり自分のものにしちゃえ、と言う論理。
実際、この竹島問題が日本国内で知られるようになって、たかだか10数年。
現在でも、日本人の多くが、この問題に興味がないのが実情ですが、それでも、以前に比べれば、随分興味を持つ人が増えました。
その要因となったのは、韓国側の対竹島パフォーマンスがあります。
今回も、その一つ。
これで、また竹島に興味を持つ人が増えたのは間違いでしょう。
しかも、今回はニューヨークタイムズに広告まで出しちゃって、世界中に竹島問題を宣伝してます。→記事

あらら、韓国さん、思惑とは違う方に行ってますよぉ。
いいんですかぁ〜、騒げば騒ぐほど、日本人のみならず世界人まで興味を持ってしまいまっせぇ〜。
こんな感じ。

そして、ついには国際司法裁判所へ…、と言うことになると、もう「こっそり」なんてわけには、いかなくなります。



■竹島関連映像

竹島に関する映像が多数ありますので、それを幾つか紹介します。

テレ朝の「テレビタックル」から


この映像は、これまでの政治的流れを大まかに捉えるには分かりやすい映像ですが、日本の主張する、竹島が日本領である理由が完全に欠如してます。
印象的には、日韓併合時に無理やり日本が奪ったかのような感じ。
テレ朝、やってくれますね、相変わらず。

次は、日韓の研究者が、竹島の領有に関する討議をした模様をドキュメントした映像です。
出所は分かりませんが、オラホの知らなかった事も出ております。

前説すると、この映像は、島根県により組織された「竹島問題研究会」が、現地調査と、非公式ながら韓国側研究者と意見交換した模様を記録したドキュメンタリーです。
ちなみに、「非公式」と言うのは、韓国側から出された条件のようです。
政治的、社会的にデリケートな問題で、日本研究者と意見交換しただけで批判される可能性があるとの事。
そうですよね、それで負けたりでもしたら、非難どころではなく、わが身が危なくなるもんなぁ。
取りあえず同情しときますが、日本的には理解不能な理屈。

鬱陵島で見た!竹島・溝は埋まったか(1/4)

このセンテンスは、主に日本の論点、特に韓国の主張の矛盾点を語っています。
手持ちのカード、と言うわけですね。



鬱陵島で見た!竹島・溝は埋まったか(2/4)

冒頭で韓国の研究者が、
「日本の研究者は、日本の領土である事を前提にして調査を始めていて…、日本の領土であると言う論理を作るために調査していることが、懸念される。」
と言うような事を言っておられます。
当り前だろう〜。
文献による研究を確認することが、日本側の目的のひとつなわけですから。
それに、このチェ・チャングンとか言う方、段々と語気が荒くなって、ほとんど日本研究者に話をさせません。
みごとに韓国してます。

そして、博物館のジオラマに、日本研究者が「こんなのありえない。」と言えば、「あんたは、見てきたのか?」と。
「そう言うあんたは、見てきたのか?」と誰もが突っ込みたくなるところです。
お笑いのセンスとしては、良い味出してる韓国研究者ですが、日本人研究者、その味を引き出せないようです。


鬱陵島で見た!竹島・溝は埋まったか(3/4)

ここから韓国の逆襲です。
「中井養三郎」の残した記述が、争点となります。
誰や?と思ったら、アシカ漁を生業とする会社の社長らしい。(猟師とは言ってないが、漁師だったかも)
この中井さんが、竹島を島根県に(つまり日本に)編入するよう願い出た人、と言うことのようで、氏の残した文献に「(竹島は)韓国領と思われる」との記述があることから、氏が竹島が韓国領と認識していた、つまり「日本は韓国領と認識していた」という根拠になる、というもの。
後半、島根大学の教授に反論されてますが、後日のようで、意見交換の場では反論できなかったんだろうなぁ、と推測されます。


鬱陵島で見た!竹島・溝は埋まったか(4/4)

最後は、安龍福(アン・リュンボク)という人の話から始まります。
なんでも、17世紀末、日本に竹島を韓国領と認めさせた人、として韓国では有名なんだそうで、官民一丸で銅像やら博物館やら施設の整備に取り組んでいる様子を伝え、日本の竹島政策のゆるさを問いかけつつ、映像は終わります。

全体を見ると、日本制作の映像ですから、日本よりになってしまうのは仕方のないこととして割り引いても、韓国研究者の言い分は、およそ研究者らしくないことがうかがい知れます。
「日本は、些細な矛盾点を指摘して…」
些細な矛盾点があるから、全体の信憑性が疑われる、という事に気づいていないんでしょうか。
こんな事言うくらいなら、研究者の看板下ろせよ、と言いたくなります。
もっとも、こういう韓国の姿勢って、今に始まったことではありませんけどね。
声でかいし…(関係ないか)

さっさと、国際司法裁判で決着付けてくれませんかね。


桜・サクラ・SAKURA

お風呂で潜水訓練しているところを、嫁に見られた過去を持つノーブル佐々木です。

昨年、一昨年と素材集めで、小岩井農場や花巻の賢治記念館を、暇を見つけて周り、業務的に写真やビデオを撮ったせいか、「写真を撮る」が「素材集め」という趣味に置き換わったような気がします。

さて、今日でこの辺りの桜はまず終わりですが、咲き始めのころ、今年はどうしようかと考え、昨年、石割桜を連日撮ってみた経験から、歩いて20メートルとない「亀が池」の桜を時系列に沿って撮ってみる事にしました。


1.4月16日(水)AM9:03
08亀が池-桜02
すでに五分咲きくらいでしょうか?
この日は晴天で気温も20℃を超えこの日の午後には、八分
くらいまで咲きました。
桜の対岸に茶色の枯れ木のように見えるのは“キササギ”
だそうです。(煎じて飲めば腎臓に効くらしい)
毎年桜の咲く時期までに刈られるのですが、今年は桜が早
すぎて間に合いませんでした。



2.4月17日(木)AM9:05
08亀が池-桜03
この日も好天。
九分というか、ほぼ満開です。
しかし、この日、天気予報が西から崩れてくると予報が出ま
した。
ふと気が付くと桜の下の雪柳(らしい)が咲き始めています。



3.4月18日(金)AM8:15
08亀が池-桜04
結局ちょっぴり雨が降った
だけで、風もない曇天の一日でした。
おかげで無事満開。
写真撮ってる時は気づきませんでしたが、キササギが選定
されすっきりしています。



4.4月19日(土)AM9:01
08亀が池-桜05
やはり満開の次の日には、散り始めています。
はかないですね。
日本人の美学ですね。
水面の桜が雪のように見えます。



4.4月22日(火)AM8:59
08亀が池-桜06
日、月と連休で2日ぶりに撮りましたが、桜に葉がつき始め
たみたいです。
この陽気なら雪柳も2,3日で満開するでしょうが、今日辺り
から普通の陽気に戻ったようなので、もう少し掛かるかも。





'08年4月2日付の岩手日報夕刊3面でで、タイトルにあるように
「盛岡・桜山神社前の商業地区・・・全面緑地化見直し」
という記事が掲載されました。(イエィ!)
岩手日報ウェブサイト→ココ(夕刊の記事は現時点では未掲載)

08年

盛岡市は、同市内丸の桜山神社前の商業地区の全面緑地化方針を見直し
盛岡城跡を中心としたまちづくりについて新たな検討を始める。


と、ノッケにばっちり結論を述べ、その理由として’

“近年は若者の出店も目立つなど幅広い世代から愛されるようになった”

としています。
そして、具体的なアクションとして

“市は○八年度の重点厖策の一つに「うるおいのある公園・街路樹の確保」を掲げる。”

と前置きした上で

“○八年度一般会計当初予算に公園内の案内板整備費を含む「お城を中心としたまちづくり事業費」として
六百六十九万円を計上した。


と、案内板以外のものは、明らかにしていませんが、予算がしっかり付いているようで、いままでの閉塞状況から考えると、結構期待の出来るもののような気がします。


結論だけから、地元の地道な活動が認められたのか、と思いきや「若者の出店」が要因としているあたりが、ネイティブからすると少々微妙な感は否めませんが、この際それは置いとくとして、近年、若者世代がこの界隈に進出してきた理由には、どんなものがあるのでしょうか。
これに関して07年11月28日付の岩手日報の記事を参考にすると以下の4つが挙げられています。


・四季の移ろいが観賞できる自然景観が素晴らしい
・地域への密着感がある
・大通とは違うゆったり感がある
・昔ながらの人情味あふれる雰囲気がある



主観としては、これに他の商店街に比べて家賃が安い事が加わると思われますが、いずれご町内としては、大きな前進であることに変わりはありません。
今後の展開に自分は何が出来るのか、何をするべきなのか、鼻水をたらしながら思い巡らす春の寒空、と言ったところでしょうか。





本題に入る前に、昨日アップした記事の地図画像に誤りが見つかりました。
誤りはい二つあること。
同時に2箇所に存在できるような超能力は持っていないので、当然これはどちらかが間違っていることになります。
で、間違っているのは、川沿いの方。
こちらがイ砲覆襪錣韻任后
ま、番号なぞっていけば分かると思います。
そんなたいしたことじゃありませんが、取りあえず訂正しておきます。
迷惑かけたなら謝りますが、どんな迷惑をかけるのか興味のあるところです。



雪明り2の続き

池の上の小道のあるところの画像もう一つです。
撮影して3日しかたっていないのに一瞬どこだったのか思い当たりませんでした。

雪明りの小道の右2
雪明りの小道2

手前の枝が紫に染まっているのは、紫のライトアップのため。
白いライトと紫のライトが交互に設置しているので、こんな感じに写ります。
2年前までは、白一色のモノトーンでした。
混合色とどちらが良いのか、好みが分かれるところですが、個人的にはモノトーンを支持します。




雪明り3

ここは、サンビル、教育会館前の一角です。
こんもりと盛った雪に、穴があけられ、そこにろうそくを入れた紙コップがおいてありました。
よく見ると、字が書いてあります。

紙コップ明かり1
雪明り-教育会館前3

「もりおかにまた来れますように、ともだちと、また会えますように、テストが〜」と言うのが読めます。
市外から来た観光客なのか、一時期、盛岡に住んでいた転勤族のお子さんなのか〜、とか想像力がかき立てられますね。

紙コップ明かり2
雪明り-教育会館前2

こちらは、切実ですね。

「早くなおります(たぶん『〜ように』)、〜がしあわせに(たぶん『なりますように』か?)、ゆう歩」。

向こうに回ってみなかったので、推理するしかありませんが、歩いて5分くらいのところに岩手医大があるので、そこに入院している関係者かも知れません。
字の雰囲気から言って、小学校低学年くらいかな。
とすれば、入院してるのは、両親かも。
うっ・・・、泣けてきそう。
実は、オラホも・・・っと、話がそれそうなのでやめときますが、みんなの願いが叶えば良いなぁ〜、と合掌するオラホでした。





雪明り4

ここら辺は、教育会館と農林会館の向かいあたりです。
たぶん、魚だと思います。
「なんで大和ハウスなんだ」という感じで見てました。

雪明かり〜魚〜
雪明り4

そうそう、パンフってものがある、と思い出して広げてみると、今回のテーマは「もりおか川物語」とあります。
あ〜ん、会場全体を川に見立てているわけだ。
少しは、予備知識入れておけよ、と自分に突っ込むオラホでした。




雪明り5

さて、ここへは 銑い泙罵茲親擦髻△修里泙淕瓩蝓中の橋の川下に広がる川原です。
ここは、よくイベントが催される場所なんですが、豪雨の時には水没してしまうという企画泣かせの場所です。

雪明かり〜中津川川原1〜
雪明り-中津川川原

正直、ここが川のなにを表現しているのか、よく分からなかったのですが、うるさいことは言いますまい。
いや、今、画像を見て思ったのですが、これは“魚"の地上絵か。
小山のように盛り上がったところが魚の目、左下に口、右側に鱗・・・。
頭は、上流を向いて川に平行に描いている。
なるほど、中津川を遡上する鮭を表現したということか。
う〜ん、しかし、これをまともに鮭と見るためには上空に上らなければならないということになります。
しかも、オラホの歩いたコースは、魚の肛門から口に抜けたコースということになる。
逆なら、イクラになれたかもしれないのに。(だからなんだ、ってか)

雪明かり〜中津川川原2〜
雪明り-中津川川原2

向こうに見える緑の鉄塔は、東北電力の電波塔(?)です。
時系列的には、上の画像よりこちらを先に撮ってます。
つまり肛門側ということになります。


と、オラホが歩いた「雪明り2008」でした。






雪明り2008

2月6日(水)〜10日(日)、盛岡城跡公園(旧岩手公園)を中心に「雪明り2008」が開催されました。
北国に数ある雪祭りの中で、特に有名なわけでもなく、派手なわけでもないイベントですが、それなりにしっぽりと素朴でハートウォーミングな雰囲気で、街の中心部を癒しの空間で満たしてくれます。
これって、雪国の特権なんじゃないかと思ったりもします。
実は、じっくり見たのは今回が初めて。
こんな公園の真下に店出して、いつでも見られると思うと、なかなか足が向かないものです。
寒いですしね。(あ〜軟弱)
ま、今回は、そんな「はじめての雪明り」的な趣で画像を紹介します。




初めての「雪明り」2008

パンフによると、盛岡城跡公園、中津川、駅前広場、菜園通り、八幡通りの5箇所が会場。
これを全部踏破するのは、出来ないことではないですが、ちょっとしんどいので、一番近い盛岡城跡公園と中津川を巡ることにしました。

盛岡城跡公園周辺地図

赤丸の番号は、歩いた順番です。
ついでながら、当店は上のピンの刺してるところです。



\稾世蝪院嵒垢猟刻」

看板

「ビクトリア市のクレーダーロック城」とあります。
今年は、作ってるところを見て「欧米か?」と突っ込みを入れてましたが、看板を見て納得。
ビクトリア市は、1985年に盛岡と姉妹都市になったカナダ、コロンビア州の州都です。

クレーダーロック城(英語)

氷のクレーダーロック城(夜モード)
氷のクレーダーロック城

ライトアップして、なかなか幻想的です。
昼間は、こうなります。

氷のクレーダーロック城(昼モード)
クレーダーロック城2

後ろの桜山神社とミスマッチの感がありますが、見方を変えれば、古い日本の神社と仲良く並んでいるお城の図、ということで日加友好のシンボルとなるわけです。(どうせ、こじつけさ)
それとこんな氷の彫刻もありました。

氷の白鳥
氷の白鳥



∪稾世蝪

さて、東大通に沿った凍りついた池の上の小道です。

雪明りの小道
雪明りの小道

そして、この道から右側に目を向けるとこうなります。

雪明りの小道の右(上から撮影)
雪明りの小道の右

軽いノリで、書き込んできたつもりでしたが、意外に長くなってきました。
時間がなくなってきたので、続きは、次回。



















■告知しといて報告なし

節分祭の告知しておいて報告してませんでした。
と言うのも画像が無いんです。

東大通振興会の会長に画像頼んでるんですけどね。

・・・まだこない。

ま、届いたら貼ることにします。





■で、報告

今年の節分祭は、日曜日と言うことで、官庁街、町内ともども閑散としてまして、参拝者数はあまり期待できない状況でしたが、それでも200人ほどお集まり頂いたようで、盛り上がりました。

多少寒さが緩んでたのも、ラッキーだったかも。
町内の寄付集めに歩いたとき、新規のお店に声を掛けたのも良かったかな。
時間も、まぁ予定通り4時半くらいに始まりました。

あいかわらず豆はなかなか遠くに飛ばず、先頭から中盤でより多くの豆をゲットしたかたが多かったみたいです。
落花生は、軽いからなぁ。
遠くまで飛ばすには、結構パワーがいるんですよね。

以前には、落花生と一緒に大豆やキャンディーも入ってて、重量を保ってたんですけど、このところの不景気が影を落としてるのかもしれません。
ま、これは神社の管轄なので、事情はなんとも計りかねますが。
なにはともあれ、事故も無く良い豆まきでした。



■ついでに「雪明かり」告知のようなもの

今度は、「雪明かり」があります。

昨日から神社横の「イワマ靴店」跡地に氷のお城を作っているところで、多分今日には、完成するんでしょうね。
昨年までは、公園に少し入った所で展示してましたが、今年は通りから目立つところに移動いたので、見逃す通行人は、まずいないと思います。
もっとも、毎年のように場所は移動してまして、いくぶん迷走の感もありますが、たぶんベストポジション探してるんでしょう。
仕上がりがどうなるのか楽しみですが、昨年までの雰囲気では、お城を中からライトアップして、凍てつく冬の寒空の下に異空間を作ってました。

ん〜、やはり画像がないと説得力ないなぁ。


あ、開催はいつなんだろう、多分、今週末?

こんな告知はないよなぁ。
ということで「ようなもの」と付けていたりする。


<追記>

今日から始まってるみたい。