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乾燥したらビーフジャーキーと呼ばれるかもしれないノーブル佐々木です。


盛岡市の「桜山神社参道の将来像ついて」公式説明会、ん?何回目だろ?4回目くらいかな、が盛岡市の8階ホールで行われた。
これまでもそうだったように、今回も午後3時と7時の2回開催、ダブルヘッダーだが、今まで両方出たことはなかった。
しかし、今回は市のサクラの仕込みを警戒する意味で、2回とも出る運びになった。
もっとも一般市民の方々が多数来場して、そんな心配は無駄に終わったのだけど、念には念を入れたわけだ。

来場者数は、どれくらいいたのだろうか?
数えていなかったので雰囲気だけなのだが、一回目は200名くらい、二回目はそれを下回ったと言えそれでも100名以上はいたような気がする。
盛岡市民の関心の高さがうかがえる現象だ。
あ〜ウレシ!
そして感謝!
「ありがとう」×人数×2回。


■史跡

しかし質疑のシーケンス動画をどうしようか…。
5時間分くらいある。
ま、それは追々考えることにして、取りあえず今日のことを上げておこう。
今日は、面白かったぞ、とてつもなく疲れたけど。
それだけの価値がある討議だった。
こう言う言い方は不謹慎かな?

オラホには、そこそこの突っ込みポイントしか上げられなかったが、いろんな見地から発言する人がいて勉強させてもらった。
特に印象的だったのは、史跡指定地域の解除、または縮小という概念。
どうも年取ると頭が固くなっていて、大元の設定(この場合は“史跡指定”という設定)は覆らない、と思い込んでいた。

法律みたいなもので、その範疇でしか思考できなくなっていた。
いままで史跡の定義と言うものを、考えたことすらないもんな。
何と言ってもオラホが生まれた時から、我が家は史跡の上にあったんだからしようがない。
で、その概念とはこうだ。

1.史跡を指定するに当たり、それ相応の学術的・文化的価値がなければならない、しかも保存状態が良好である必要がある。

2・では、桜山神社参道地区はそれに該当するのか。


ちなみに文化庁のHPで「文化財の保護」と題した次のようなページがある。
文化庁、史跡指定に関する頁
リンク先

この中で史跡の「選択の基準」として次のように謳っている。

ア  我が国の近代史を理解する上で欠くことのできない遺跡であって,国として保護する必要のあるものであること。

イ  遺跡が歴史上の重要性をよく示しており,学術上価値の高いものであること。


盛岡城、ということで考えれば、歴史上の重要性、学術的価値がどれほどかオラホの浅い知識で判断するのはあまりの暴挙、と思うところはあるが、残した方がよい、という判断に反対する人は、まずいないだろう。
問題は次の「3.選択の際の考慮要件」、つまり選択基準と言うか条件だな。
ここには5つ要件を謳ってるが、ポイントになるのは以下の2つ。


イ  同種の遺跡が複数ある場合には,全国的見地から注目すべきものであること。また,その場合,当該歴史事象に関係する資料等の保存状況についても,勘案するものとする。

ウ  当該遺跡が歴史的に重要で保護を要するものであるという点について相当の評価が定まっており,国民的理解が得られやすいものであること。


盛岡城、という括りでは、まぁ〜そうかなぁ、と思えるが、桜山地区界隈の第4種地域に限定すると、すでに保存すべきものの大半がない。(というかほとんどない)
この地域の当時の資料も、図面以外ほとんどない。(探せばあるだろうけど、市は持っていない)
とても国民的理解が得られるとは思えない、ような気がするのだが。

逆に、指定地域を縮小する方にこそ理解が得られるようにすら思えてくる。
だって史跡の維持には、それ相応の経費がかかるはずなのだから。
事業仕訳、これが入ったら絶対廃止(解除)にされると思うけどなぁ。


■アンケート

な〜ぜか、市の説明ではこの辺は毎回ほとんど省略される。
新聞で“疑惑のアンケート”として報道されたせいなのかな。
「恣意的で悪意を感じる。」
と言った方がおられたが、整備部部長は特に設問文には触れず、軽く否定していた。
しかし、今や社会(少なくてもネットの中では)に広く、アンケートなるものが如何様にも回答を誘導できるということが知れ渡っている。
今やこの手法で世間を欺くことはできない、と言ってもいい。
だから、オラホも全然気にはしていなかった。

しかし、これを添付資料として計画案に貼り付け、国に上程したらどうだろう。
動機は補助金めあてだ。
世間は欺けなくても、国家公務員は欺けるかもしれない。
というか、地元同意の計画という添付資料として、義務付けられてたりして。
おっと、いかんいかん邪推してしまった。


■熱い市民

こんなにもこの地域を大事に思っている人々がいる、と感じたのは初めてかもしれない。
しかも地元住民より温度が高いじゃないか。
数値にすれば、20℃くらい。
ただ、市の職員を罵倒するような発言は聞いていて肝が冷える。
あらら、そこまで言っちゃったか〜、って感じ。

勿論地元民もそれ相応の不信感を抱いているのは事実なのだが、市のベクトルとそれほど違いはない、とも思っている。
ただ、ほんのちょっとの違いで落とし所が全然違うんだけどね。
だから市がかたくなな態度に出るような事態には追い込みたくはない。

それと60年間ほったらかしといて怠慢だ!と言った方は地元民ではあったが、彼ら市の職員が粛々と業務を全うしていたら、オラホらは今、あの地にはいなかった可能性が高い。
たぶん市の職員もその辺は認識しているんじゃないかな。
言わないもの、その件について。
良い方に取ってる、と言われればそれまでだけどね。


■今後

これだけ反対意見一色で、市はどんな対応をするのだろうか?
気持ちは、文化庁、地元住民、盛岡市民どこにも良い顔したいとこだろうけど、このままでは無理だろう。
策定委員会に地元代表を入れなかったり、説明はしても協議の場を設けなかったりと、官主体で事を運びすぎた。
そのツケを今払っているわけだ。

もしこのまま中央突破するつもりなら、もう誰も無傷ではいられないだろう。
そして誰が一番重傷を負うかというと、大概は真ん中にいる人、と言うことになるじゃないかな、普通。






睡眠は不足していても食欲は過剰気味なノーブル佐々木です。

う〜、動画編集に二日かかった。orz
これ以上かかると鮮度が落ちるので、市の整備部みどり課の説明でいったんアップすることにした
ま、だらだら映像流すだけなら、すぐに出来たんだけど、なんて言うのか人間ができてる、っていうの?
キャプションを付けちゃったりしてみた。

初めてのHD動画編集だったけど、レンダリングにすごい時間がかかった。
HDDが1GBくらいしかなかった時代を思い出しちゃったよ。
それにAVCHDを直接編集できないため、前処理にHDVに変換するのに一晩かかったのもしんどかった。
しかも、この編集ソフトがナスのヘタみたいに…(略)



■「桜山神社参道地区の将来像について」説明討論会

・開催にあたってのあいさつ


東大通り商業振興会会長 颯田氏(さつた)と内丸第二町内会の川村氏のあいさつです。
取りあえずプロローグ。
以下が本番。

市の資料はこちら→PDF


・盛岡市整備部みどり課の説明1



お気づきだろうか?
これまでも何度か強調してきたが、市は勘定所を復元するなどとは言っていない。
土塁などについては、言ってしまってる部分もあるようだが、「2mの土塁を復元したら、閉鎖された空間を作ってしまう」と言ってるように、それらしきものを作る、どまりである。
メディアは面倒くさがってか故意か分からないが、テレビ・新聞・ラジオすべてが「復元」と言っている。
しかし、氏の説明で勘定所に限定すれば、一言も「復元」とは言っていない。


「整備」


と言っている。
整備と復元とは意味も意義も意気(?)も違う。
その言葉の前に「当時の城郭の規模を連想させるような」と付け加えているように、復元などではない。
よって、意義も学術的な意味合いではなく、良く言って観光客へ利便性の向上、悪く言えば〜…ええ…思い当たらない。orz〜ナサケナイ
まぁいい、出ないときもあるさ。

ただ、この間違った表現をのさばらせると、まるで桜山地区の住人たちが貴重な文化的建造物の復元を、私利私欲で妨害しているような印象を与えかねない。
手打ち風うどんは、いくら見た目が手打ちでも手製ではなく機械製なのだ。



・盛岡市整備部みどり課の説明2



こちらの突っ込みは、勘定所(風建物)や土塁(みたいなの)にかぶる指定地域以外は、残すような言い方をしているところ。
私有地の部分だ。
オラホのお店はその地域に当たる。
どうだろう、そんなことがあるのだろうか。

たぶん、市の計画案通りに勘定所や土塁ができれば、商店街の少なくとも半分は無くなる。
そうなった時、残りの店が生き残っていけるだろうか。
しかも、懸念はほかにもある。

ここ10年で文化庁の考え方も変わってきている、と言うことを、30年後か50年後には「良い方に変わる」という可能性で語っている部分があるが、同じくらい「悪い方に変わる」可能性だってある。
その時「やっぱり立ち退いてくれる?」と言いださないとは限らない。
もひとつ厄介なのは、住民の気持ちが揺れ動いてしまうこともある。
オラホですら、

「あれ?オラホのとこは指定外ジャン。」

って一瞬思ってしまったじゃないか。
このことは皆に内緒にしなければならない。



■しかし

オラホは甘々のアマちゃんだから、彼ら市の職員を鬼のように思うことはできない。
できそうにない。
この商店街を支えてきてくれた人々でもあるからだ。
だから怒りではなく悲しみを強く感じる。
これはオラホよりも飲食店関係の方が強く感じているかもしれない。
いずれ、大なり小なり皆同様の思いを抱いているのだと思う。

もっとも、そんな気持ちを察してためらうようなら、それはそれで馴れ合いと批判されるだろう。
市の職員がどう思っているのか、興味深いところではあるが、それで何かが変わるわけでもない。
とどのつまりは、市に温情を求めるよりも、ここに第4種史跡区域以上の価値があると訴えていかなければならない

そう巨人の星に誓うノーブル佐々木であった。











唇の下がすぐアゴ、と言われるノーブル佐々木です。

さて、続きだ、続き。
急がなければ・・・。


■都市整備部公園みどり課の考えていること・・・続き


第2回目

報告

(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。

2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。

3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。

4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある




協議

(主な意見)

1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。

2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように

3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。

4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。

5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか

6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。



転載はここまで。


まず、報告の4「保存管理計画の中で整理していく必要がある」
保存管理計画とは何なん?
盛岡市のHP内で検索かけると次の文書がでてきた。

盛岡城跡保存管理計画策定設置要領/日付:2010/04/12-21:27:27 →PDF

この盛岡城跡保存管理計画策定委員会、3回開かれたらしく、最後に開かれたのが今年の6月のことらしい。
国史跡盛岡城跡の保存管理計画の助言を求めるための委員会、とのことだが、残念ながら会議資料は見つけられなかった。

しかしただ助言を求めるための機関って実効能力があるのだろうか。
各方面からの意見を取り入れました、という単なる手続きに過ぎないんじゃないだろうか?
疑えばきりがない。
人間不信になっていくようだ。

その他にも色の変えてある部分に突っ込みを入れたいのだが、どんどんオラホの趣旨とは離れていくようなので、この際まとめてしまおう。
一言でいえば、
まともだ。
はっきり言えば、特に反対するような箇所はない。

逆にこの「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」の策定案のどこから、勘定所風建物や土塁のようなものを作る必然性が出てくるのか理解に苦しむ。
現存する商店街を一掃しようという主旨の提言すらもない。
もっともな事、あたりまえな事しか述べていない。

そうなると、今回の策定案は委員会が震源地と言うのは、オラホの勘違いで、この策定案は
都市整備部公園みどり課こそが震源地
と、言いきってよさそうだ。
では、彼らはどういう動機で今回の策定案を作ったのか。
ヒントになるかどうか分からないが、説明会で整備部部長は印象に残る言葉を言った。


「史跡は、みなさんだけのものじゃありません。国の宝なんです。護るべきものは物は護り、保存すべきものは保存する。」


氏はこれを「文化庁から言われたことですが」と前置きして発言した。
土塁を崩し、お堀をつぶす道路を通したお役人とは思えないお言葉だ。
いや、こんな言い方はすべきではない。
なぜなら、ここの住人には必要なことだったし、市の交通の利便性を高めるにも必要なことだったからだ。

だから、もしそれが国の宝を損ねた罪だと言うなら、望んだ者から実行した者まで全てが罪人だと言える。
なぜここに来て、手のひらを返したように「自分は潔白です!正義なんです!」みたいなことを言えるのだろうか。
もっとも

「文化庁に言われていやいややってます。」

とは言えないだろうなぁ。
ガキの使いじゃあるまいし。
にしても、この発言はどこからか圧力なり指示があったことを疑わせるものではあった。
果たしそれが、言葉通り文化庁なのか、それとは別のものなのかは、現時点では推測の域を出ない。




■10.19説明会

にぎにぎしく、しかも長ったらしく前説をやってしまった。
これから本題の説明会実況〜と行きたいところだが、そうはいかない。
m)゚O゚'(m ナンデスト
市の公式説明会があるのだ。
詳細はこれ。

<<<市のHPからコピペ>>>>

開催日時
2010年10月19日(火曜日)
○15時00分〜(昼の部)
○19時00分〜(夜の部)
※ご都合のよい時間帯にご出席ください。

開催場所
盛岡市役所本庁舎8階 806・807会議室
※夜の部につきましては北側出入り口をご利用ください。(市役所正面向かって左側となります。)

掲載ページ→ココ

資料→ココ

Σ(゚◇゚;)!!ガーン
スキャンなんかしなくてもここに綺麗でサイズの小さい資料があった。

ん?
それが何って?
ワラワにどんな関係があるの?って?
来てくださいよぉ。
あ、ちゃうか。
ど〜ぞお越しくださいましぃ。
外部の方OKだそうですよ。

いや、何ね、地元の人間の言うことなんて、結局は立ち退きたくないだけなんでしょ、って思ってますでしょ?
それは確かにその通りなんですけど、オラホも含めた町内の皆、盛岡市民になんとか必要とされるような存在になろうと努力してきたんです、これでも。
それが自分たちが生き残る道だと信じてね。

じゃないと、ここがなくなっちゃうんです。
パイロンのジャジャ麺や昔ながらの吉田屋のラーメン、ぽっちゃりしたシルクロードのおかみさん、三平食堂のおかみさんのでかい声、身体を横にしないと通り抜けられない路地、愛想のない芳本の親父、白髪頭の丸安さん、皆いなくなっちゃう。

だから此処に少しでも愛着を感じている方、無くなってほしくない方、お金を貸してる方でも良いかこの際、の協力をいただきたいのです。
よろしくお願いします。


ちなみに、説明会の動画を準備中です。
あんまり長くて編集大変だけど、できるだけ急いであげたいと思います。
こちらもよろしく。




霜降り肉を持つノーブル佐々木です。

無駄に長くなる文章を疎ましく思っている諸氏。

慣れなさい。 〜( ̄0 ̄)〜はぁ〜これだもん・・・



■都市整備部公園みどり課の考えていること

盛岡市のHPを見ると、この界隈についてどういう議論が交わされていたのか、かすかだがその経緯をたどることが出来る。
「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」と称す委員会がそれだ。→第1回目リンク第2回目リンク

どうやらこのわずか2回、委員会で話し合われたことが今回の策定案の震源地のようだ。
策定委員が何処の馬の骨かは分らない。
分らないから「馬の骨」呼ばわりもしてしまう。(ごめんね)
聞いた話によると、この策定委員なるもの、市が自由に選ぶことが出来るらしい。
しかも、メンバー交代も自在という。

伝聞なので定かではないが、これが本当なら市の意向に沿った人選が自在に出来ることになる。
こんなことがまかり通っているのだろうか?
突っ込みどころ満載だろうが・・・。
とても賢いホワイトカラーがすることとは思えない。

で、それは横に置いておくとして、そこで何が話し合われたのか、というとおおよそ次のような事らしい。
ちなみに報告と協議とあるが、1回目について報告は割愛する。
たいしたこと載ってないし。

第1回目

協議

1.史跡盛岡城の中だけではなく,周辺の景観等についてのありかたも含めた形で計画作りをする必要がある。

2.史跡の活用については,「まちづくり」という観点も併せ持つ形で検討する必要がある。

3.観光という面だけを重視した内容で検討する事の無いようにしてもらいたい。


※番号は便宜的にオラホが付けた。

ここでは、3がキモということか。
というか、地元住民は考慮の対象外なんだね、ふ〜ん。
そういう匂いは感じていたが、そのままだった訳だ。
では2回目を見るとしよう。

第2回目

報告

(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。

2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。

3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。

4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。


協議

(主な意見)

1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。

2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。

3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。

4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。

5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。

6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。




あらら・・・、編集途中で間違って公開ボタン押しちゃったよぉ。
しようがないなぁ。
続きは、次に。





泣きが入れば止まらないノーブル佐々木です。

昭和12年から73年の時を経て、今月(平成22年10月)盛岡市は「桜山神社参道の将来像について」と題した策定案を発表した。
昨日(10月13日)の内丸第二町内会が主催した説明会は、予想を上回る町内外100名ほどが参加する規模となり、同時に県内在住すべての放送局が取材に来るという注目の場にもなった。
これをネタにしないわけにはイカの○玉。

ということですよ。


■事の経緯

その時配布された資料がこれ→ココ

13ページの資料であるが、紙質が悪いのでスキャンニングでは、プツプツが目立つ。
しかも内容的にアバタに見てもエクボには見えない。
アバタをいちいち説明するのは、メンタル的に負荷が大きいので詳細は資料を参照されたい。
しかし、それではオラホの好感度が下がるので簡単に経緯を説明しよう。
結構人のうわさを気にするタイプ炸裂っ。

【桜山神社界隈のここまでの経緯】

1.昭和12年(1937年)
国がこの界隈を史跡指定する。

2.終戦後
大陸からの引揚者が神社境内にバラックなどを建てて住み始める。これがこの町内の始まり。

3.昭和29年(1954年)
「中の橋・大通り線」の整備に伴い仮移設が始まる。
この通りは、今の東北銀行本店からサンビルまでの通り、つまり「東大通り」のこと。

4.昭和31年(1956年)都市計画が決まる。
この時にこの界隈は将来は緑地(すなわち公園緑地)となることが決まった。
これの意味するところは、地目(土地の主たる用途による区分。不動産登記法では次の二一種類が定められている。)が「緑地」となり、建物の建設はNGになるということ。
簡単にいえば、「現状は仕方ないけど、取り壊したらもう建てちゃだめだよ。」ってこと。
別な見方では、「どいて、て言ったらどいてね!」ってことでもある。


ここまでは資料から、ここからはオラホの伝聞と記憶によるものになる。


5.昭和34年区画整理
ほぼ現在の状態。
この間の説明会で元住民の方の証言によると、この時にお堀周辺の土塁が撤去されたらしい。
町民、取りあえず安堵のため息。

6.昭和44年(45年?)
岩手国体を控え、市街地の景観を改善するという名目で桜山神社からサンビルまでの桟橋(現在は歩道となっている)の店舗が撤去される。
町民、次はオラホか!と震えあがる。

7.平成9年(1997年)
桜山界隈を将来駐車場にする計画が決定(したらしい)。
町民、恐怖に怯えつつも過去30年具体的な市の動きがなかったため静観

8.平成20年(2008年)4月2日
時節に合わないということで市は上の計画を破棄。
これをマスコミが大々的に報道
町民、いよいよこの地が安住の地となるのか!と舞い上がる。

9.同年(10月だっけ?)←春だった?
市は、報道に動揺し急きょ説明会を開催。
「皆さんと協議して・・・」とか言いつつ、1年間の調査期間を経て何らかの策定案を出すことを明言する。
町民、多少を不安を抱えつつも、期待感が勝りこの言葉を信じることにする。

10.平成22年(2010年)10月1日
「桜山神社参道も将来像ついて」と題した策定案を発表。(というかマスコミが大々的に報道)
勘定所“”建物とお堀の土塁を何となく再現する、という案と引き換えに、現状を改善する改修工事を制限付きで認可する、というありがたい御沙汰をお示しになる。
町民、期待を裏切られた計画案に度肝を抜かれる。

11.平成22年(2010年)10月13日
内丸第2町内会主催で市の職員を招いて説明会を開く。
町民、想いのたけをぶつける。

今、丁度ここ。



■青天の霹靂

町内会長の川村氏は、説明会終わりの言葉として市の策定案を「青天の霹靂」と形容した。
この言葉は、市の唐突な発表、という意味合いで報道されたが、それは違う。
先に示したように、策定案の発表自体は事前に決まっていたものだからだ。
では、氏は何をもって「青天の霹靂」と表したのか。

それは、事前の協議も連絡もなく一方的に策定案が示されたことを指している。
来るのは知っていたが、まさか寝ている間に耳に水を入れられるなんて。聞いてないよぉ〜。
と、ダチョウ倶楽部なら突っ込んでるところだ、というわけだ。

しかも、この1年半、市と町内は(と言うより市街地全体は)良い関係を築いてきた。
「盛岡市中心市街地活性化基本計画」(→ココ)という名のもとに、これまでにない支援を市から受けてきていたのだ。

これまでの盛岡は、盛南開発という旗印に、市の外辺地域を開発してきた。
これは、市街地の利便性を郊外域にまで拡大する、という効果をここ20年間で実現した。
それは実際、郊外に寝床を構えるオラホも実感してきた。
しかし、それは同時に市街地の経済的地盤沈下を起こす諸刃の剣でもあった。

全国に目を向ければ、シャッター街が問題視されている地域はいくらでもある。
実感はないが、盛岡はまだよい方とされているらしい。
それでも時間の問題なのは明らか。
国がそう言った自治体に補助金を出すという方策を打ち出したのは、一昨年のこと。
開発の遅れていた(つまり市街地がシャッター街になる前に)盛岡市がこれに取り組むことになったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。

そしてもう一つ幸運だったのは、この桜山神社界隈が昭和の風情を色濃く残すことになったのも、先に述べた緑地指定による建築・改築規制によるものだったこともある。


■昭和の風情

昭和の風情なるものの定義は定かでないが、安普請(やすぶしん)の雑然とした生活感が丸出しの趣、とオラホは定義しよう。
これは、この町内そのものの形容句だと言える。
20年前、いや10年前まで、これは町内の改善すべき問題であり、覆い隠さねばならない恥部だった。
中央通り側にある、今や巨木となったヒマヤラやシーダは、県庁からこの町内を見えないようにするために植樹した、と噂されるほど景観を害していると言われた時代が長く続いた。(真偽は不明)

それがいつからか、カメラを持った人々が時折出没するようになったころから様相が変わる。
彼らまたは彼女らは、自然美の漂う池の端や歴史を感じさせる釣り鐘堂を撮影するのか、と思いきや2mもない、バケツやボイラー、ガスボンベが置かれている薄暗い路地裏を撮影しているではないか。
ある時など、さんさ踊りの雑踏で外国人が、そんな路地裏にカメラを向けているのを見かけたときがあった。
よほど奇異の面持ちで見ていたのだろう。
オラホに気付いたその白人男性は、こともあろうにウィンクを飛ばしやがった。

「畜生、碧眼パツキンはウィンクが似合うぜ!」

と不覚にも惚れてしまいそうになってしまったじゃないか。
10年20年は流行遅れと揶揄されるが、50年以上も経つと「レトロ」と称されることに気付いた瞬間だったかもしれない。
気がつくと、全国に昭和風情を謳い文句にした店や街並みがいろいろなメディアで紹介されている。
ある日学校に、父親のラッパのジーンズを履いてったら人気者になっちゃったぁ〜、みたいな感じなのかも。(それはナイナイ)




くぅ〜、1日でまとめられなかったか。
全体の半分も行ってないかも。
よし、明日も打ち込むぞ、ということで、続く。